Osho を翻訳するということ


なんの因果か、ここ十年ほどOsho の本を翻訳し続けている。
どんないきさつでそんな具合になったのか、
またOsho を翻訳するというのはどういう作業なのか、
ちょっとウラ話を書いてみたいと思う。

そもそもの始まり

 あれは1986年のこと。
 ギリシアでOsho に弟子入りし、オランダのコミューンで修行をして戻ってきた。
 まだ多少蓄えも残っていたし、ほかにすることもないので、Osho の翻訳をしようと思った。
 その時に先輩のサニヤシンに薦められたのが、この『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』だった。

 当時、本書は『The Book of the Secrets』(秘法の書)という名で、五巻にわかれていた。
 今から思うと、西も東もわからない新人がこんなダイジな本を訳そうというんだから、だいそれた話だ。
 しかしだいそれたことが起こるのが、またこの世界なのである。

 原稿用紙に直したら四-五千枚にはなるであろう大著なんだけど、じゃやってみようか、という感じで、かなり気軽に、そして淡々と始めた。
 それからの日々、日が照ろうが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、ただひたすら淡々とやっていた。
 途中、ほかの講話集に浮気することもあったりして、一応全巻を終了するのに六年ほどかかった。



浮気の話

 1989年初頭のこと。オレはプーナにいた。ときはOsho 講話の最晩期のころ。オレはちょうど『タントラ』の第四巻あたりをやっていた。
 二月になって『禅火禅風』という講話シリーズが始まった。共産主義を題材とした講話で、これがなかなかおもしろかった。そこでシリーズ終了直後からその翻訳にとりかかった。
 この本は昨年、市民出版社から出ることになっていたが、オウム事件のさなか、内容がカゲキだということでお蔵入りになり、いまだに日の目を見ていない。

 また同年秋には、『ノーマインド』という講話集を訳している。これは88年末から89年初にかけて語られたもので、後にOsho 日本大使となるギャン・シャルノがかなり深く関っているものだ。
 当時オレはシャルノの秘書として伊勢にいたから、そのからみで翻訳を依頼されたというわけ。本書は後に壮神社から発行される。


『禅マニフェスト』のこと

 Osho 最後の講話集に『禅マニフェスト』というのがある。89年の2月と4月に語られたものだ。やはりおもしろい講話集で、オレもシリーズ終了直後からよっぽど翻訳に着手しようかと思った。(でも『タントラ』が待っていたから思いとどまった)。

 本書はかなり前からみんなの注目を集め、沖縄のOsho 大使ウパニシャッド(喜納昌吉)が早くから翻訳権を取り、本づくりを進めていた。しかし翻訳作業が思うにまかせず、結局オレのところに話が回ってきた。
 昨年初、翻訳も完成し、講談社が出版に関心を示していたんだけども、やっぱりオウム事件などの余波もあって、最終的にボツとなる。今はフロッピーの中で眠っている。本書については『ぱるば日記』98/3/1を参照のこと。





Osho 翻訳のテクニカル

 Osho の英語
オレの訳しているものは、基本的にOsho が英語で語ったものだ。
Osho の母語はヒンディー語だ。英語は後に学んだものだ。
Osho の英語はかなりクセがある。でもクセについては日本人のほうがよほどひどいから平気だ。
いったん慣れてしまうと、かなりわかりやすい。
文章構造もかなりシンプルだ。これは書き言葉ではなく、話し言葉なのだ。

 話し言葉の翻訳
Osho 講話には特有のリズムと流れがある。
話し言葉の場合、特に語順というものが大切だ。できるだけそのままに訳したい。
ところがあいにく、英語と日本語では、単語の語順に大きな違いがある。
英語は基本的にS(主語)+V(動詞)+O(目的語or 補語)という順だが、日本語の場合はS+O+Vだ。

そしてOsho はよく、S+V+O+O+O+O+O……というのをやる。
たとえば、You can follow a Buddha, a Christ, a Moses, a Krishna, a Mohammed……というやつだ。
これは厄介だ。
間違っても、「あなたはブッダや、キリストや、モーゼや、クリシュナや、モハメッドに従うことができる」とやってはいけない。辞書的には正しくても、意味的には誤訳だ。
文脈にもよるが、ひとつの翻訳例はこうだ、「従うのもいい――ブッダでも、キリストでも、モーゼでも、クリシュナでも、モハメッドでも……」。

 神秘家と論理家
Osho はどこかで、「私は資質としては論理家だけども、何かの間違いで神秘家になってしまった」と言っている。
彼の講話にも論理と神秘の両面が現れる。
論理家として語るとき、その言葉は論説となる。神秘家として語るとき、その言葉は詩となる。
翻訳者はそこを注意しないといけない。
論説を詩的に訳すと非常にまどろこしくなり、詩を論説的に訳すと味もそっけもなくなる。

詩と論理はライブの講話を聴いていると一目瞭然だ。
しかしそれが英語の本になって印刷されると、よくわからなくなる。

翻訳者はそこをよく読み取って、適切に訳し分けないといけない。 (1996.10.16記)



Osho原書

 翻訳をするには、まず原書が必要だ。原書というのは、Oshoの語った言葉通りに編集されて出版されている本だ。
 Oshoは英語とヒンディー語で講話をおこなった。だから原書も英語とヒンディー語で、合わせて六百冊を越えると言われている。ヒンディー語版はごく初期の講話集に限られており、過半数は英語による講話集だ。私はその英語による講話集の中から、適当なのを選び、翻訳している。

 ところで「Oshoの語った言葉通り」と言ったが、これは実は不可能なことなのである。いかに同じ言語とは言え、語られたことを100%紙上に移すというのは無理だ。たとえば印刷された英語の講話集には、改行あり、句読点あり、引用符あり、斜体ありで、こういったものはOshoの語った言葉の中にはないものだ。これはすべて編集の段階で適宜に案配される。だからこの編集作業というのは、実際、かなり重要なものなのだ。

 原書の編集は、英語の場合、英語を母国語とする物書き系の弟子たちによっておこなわれる。Oshoの講話はみなテープ録音されているから、それをヘッドフォンで聞きながらテープ起こしをするわけだ。そして形を整えて、原稿をつくり、印刷に回す。
 この整形の段階で句読点などの「制御記号」が付加されるわけだが、それだけじゃない。Oshoの言葉自体にも多少の手が加えられる。やはり話し言葉はそのまま書き言葉にはならないのだ。重複が削られたり、時制の一致が図られたりする。(そもそも英語はOshoの母語ではないのだ)。

 もうこのあたりは、編集者のセンスと判断に任されると言うしかない。だからこそ、この仕事はOshoの弟子にまかされるのだ。Oshoを愛する弟子たちが、Oshoその人になりかわって作業をするわけだ。こんなことを言うと深刻系の弟子たちからは「なんとオソレ多い」と叱られそうだが、欧米の弟子たちはけっこう気楽にやっている。
 私がヴィギャン・バイラヴ・タントラの翻訳を始めたころ、どうしてもわからない一節があったので、編者のひとりであるセラピスト、スワミ・ワドゥードに聞きに行ったことがある。そしたらいとも簡単に、「じゃ、こう変えたら」と言って単語をいくつか「訂正」してしまったのだ。
 これはオレの経験でもあるのだが、弟子が多少字面をいじくったところで、Oshoの言わんとすることは、そんなに変わるものではない。だいたいOshoという人は非常に親切な人だから、重要なポイントは手を変え品を変え、何べんも何べんも言い換えるのである。

 それでもだいたいにおいて、Oshoの場合、語られた言葉が基本的にそのまま本になるのだから、これは驚嘆に値することではないか! (1997.6.11記)


翻訳書の選定

 現在邦訳されている講話集はほとんどが、Osho の英語による講話集だ。ヒンディー語講話集も三、四点邦訳されてはいるが、いずれも英語版からの重訳であって、ヒンディー語から直接邦訳されたものはまだ存在していない。だからOsho の母語ヒンディー語による講話の雰囲気は、なかなか日本には伝わってこないのだ。誰かヒンディー語の達者な人に翻訳してもらいたいと思う。東京外大でヒンディー語を学んでいるマ・ソナやマ・アジータあたりにがんばってもらいたいものだ。

 だから現在のところはすべて、英語からの翻訳となっている。その数約五十点。翻訳者の数も十指に余る。ところでこの「翻訳者」というのは、別に資格があってやっているわけではない。誰でもやりたい人が翻訳する。別にサニヤシンじゃなきゃいけないということもない。現に世界でいちばんOsho 本が売れている韓国では、非サニヤシンの翻訳者の方が多いし、海賊版も多い(!)らしいが、Osho 本の版権所有者であるOsho インターナショナルはそれを黙認しているようだ。だからOsho の本は誰でも翻訳できるのだ。しかしだからといって、その翻訳されたものが本になって出版されるとは限らない。オレの場合も、初めての訳書『内なる宇宙の発見』が出版されたのは、翻訳を初めて七年後のことだった。おそらくこのあたりが翻訳者としての資格試験なのだろう。いつ出版されるかわからないし、たとえ出版されたところで韓国みたいにOsho の翻訳で食えるという見込みもない……そのような状況下でも平気で翻訳を続け、推敲を重ねられるような神経の持ち主じゃないと、翻訳者にはなれないのだ。

 で、どの講話集を翻訳するかといえば、それも翻訳者の自由選択だ。僕の場合はサニヤシンになりたての1986年、Osho の本を翻訳したいなあと思っていたとき、先輩サニヤシンに「この本をやりなさい」と言われて始めたのが、現在十巻シリーズで刊行中の『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』。また、三年半前に出版された『ノーマインド』もOsho 日本大使のマ・シャルノに頼まれたものだし、現在進行中の『禅マニフェスト』もやはりOsho 沖縄大使のウパニシャッドに頼まれたものという感じで、あまり訳書選択に主体性がないのだ。ただ、現在出版待機中の『禅火禅風』は、プーナ滞在中に講話を生で聴いて「これはおもしろい」とその場で翻訳に着手したもので、やはり臨場感にあふれている。

 一般的に言うと、『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』を含む初期の講話集は、より一般の人々向けに語りかけられたもので、内容もまじめで深く、哲学的な趣がある。これがプーナ一期になってまわりにサニヤシンたちが集うようになると、Osho も弟子たちも若かったから、講話の内容もより遊びに満ちたものになる。アメリカ時代からワールドツアー、そしてプーナ二期へと続く後期の時代は、様々な激動を経てきているせいか、その講話もより社会性を帯び、ときには挑発的にさえなる。僕は今まで初期と後期の講話集だけをやってきたので、今度やるとしたら、師弟間の掛け合いの妙のある中期のものをやってみたいと思っている。

 


翻訳作業

 翻訳したい講話集が決まったら、実際の作業にかかる。紙と鉛筆でやる人もいれば、電子筆記用具を使う人もいる。僕の場合は最初からワープロで仕事をした。初代はNECの文豪ミニ5Eで、現在の孫悟空(PowerBook1400c)は六代目にあたる。ノートパソコンって、じつに便利な文房具だと思う。ワープロソフトは今のところクラリスワークス4を使っているが、これには必ずしも満足していない。ひとつはドラッグ&ドロップができない点。そしてもうひとつは、縦書き形式のとき、二ページ目が一ページ目の下に来る点だ。これは致命的な欠陥だと思う。ほかのワープロソフトはどうなのかなあ。誰か情報があったら教えてください。でもワードや一太郎みないに重たいのはイヤ。個人的には秋に発売予定だという『レコライト』の新版を待っているところ。というのも、偶然プーナで、その開発にかかわったというインド人技術者に出会ったのだ。彼の言うには、新版レコライトはサイズが1M以下、 ドラッグ&ドロップができ、縦書きのとき二ページ目もちゃんと一ページ目の左に来るのだそうだ。(その機能の開発に三ヶ月を要したという)。これは実際、デモ版で見せてもらったから本当だ。ま、こんな風にパソコン談義を始めるとキリがないんだけど、きっと昔は弘法も筆のことはいろいろ語っていたはずだ。

 さて、実際の翻訳作業。まず僕は一講話ごとにズーっと流して訳してしまう。もう十年以上も訳していると、Osho の使う言葉もほとんどお馴染みだから、一講話の中で辞書を引くのは二、三度か。とにかく僕の場合は、話し言葉という講話の性格を損なわないことに一番神経を使う。まるで実際のOsho の講話を聴いているかのように、淀みなく言葉が流れるようにしたいのだ。訳文の中で一番流れを阻害するのが、may、must、can、have toなどの助動詞類、そしてwhoseやwhomなどの関係代名詞類だ。こうした難敵にいかに対処するかが、翻訳者のウデの見せ所だろう。

 またいつも悩むのが、英語にはない敬語の問題だ。たとえば、質問者「Can you say something about this?」 Osho 「It is very difficult. You try one thing....」という質疑応答があったとする。質問者の部分に関しては、「これについてどうお考えですか」で、まず問題ない。Osho の部分については普通、「それはたいへん難しい。ひとつ試してごらん....」とやるだろう。でも、「それはたいへん難しいことです。ひとつ試してごらんなさい......」とやっても、何も間違いではないのだ。弟子としては心情的に師を上に置きたいから、どうしても質問者は「ですます調」、それに答えるOsho は「だ、である調」で訳すことになる。すると質疑応答の呼吸に、微妙なズレが生じてしまうのだ。特に講話の中で、Osho が自分の過去の会話を再現するときなど、この「ですます調」と「だ、である調」の混在が、かなり文章の流れを阻害してしまう。一度Osho もですます調で訳してみようかと思っている。(1997.7.13記)



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