PUNESPECIAL FEBRUARY/1〉



◆邱正平・書道パフォーマンス(2/1)

 毎年いつもこの頃にやってくる中国・上海の書家、邱正平。今年で六回目の来プー(プーナに来ること)になる。コミューンに来ると必ずこうした催し(と書道グループ)をやるんだけども、私は毎回欠かさず見物に行くのである。揮毫中の静と動、緊張と弛緩のダイナミズムがじつにすばらしく、ただ見ているだけでもエクスタティックな体験だ。ついでにこの人の書に対する姿勢がじつに大らかで、たとえば、もう乾いてしまった字の上から新たになぞって「修正」してしまったりとか……。みるからにゴワゴワ・グチャグチャのごぶとい筆で、えもいわれぬ美の世界を創りあげる。

 毎年見物しているせいで、「興行主」スワミ・アロック(アメリカ系中国人)の口上もすっかり覚えてしまった。いわく、「邱先生は1989年に初めてコミューンにやってきました。中国大陸で唯一、Osho に会った人でもあります。Osho にその書を見せたとき、Osho は『Very, very, very good』と言いました。Osho はよく 『Very good』と言いますよね。ときたま『Very, very good』とも言います。でも『Very, very, very good』なんて私もあんまり聞いたことがありません。またOsho のシグニチャーを邱先生に見せたところ、『これは書の大家だ』と言っておりました。現存の書家の中で、唯一、北京の人民大会堂に作品が所蔵されている人でもあります。彼はこのコミューンをこよなく愛し、ここに来ると思いもかけないようなクリエーションが起こると言っています……」

 ミーラ・ギャラリーで三日間にわたっておこなわれているこのパフォーマンス。二日目の今日は、フランス人の舞踏家マ・アミヨの踊りにあわせて邱正平が揮毫をする(写真・左端に写っているのがアミヨ)。明日は日本でもおなじみのマ・ニーラが歌を歌うことになっている。ところで初日であった昨日のゲスト・アーティストは横笛のヨーコに、なんと私の和太鼓。これがなかなか楽しかった。(しかしそれで驚いちゃいけない、なんと明日はホワイト・ローブでミュージシャン・デビューをするのだ! 前座だけど)。ともあれ、邱正平は先日、福岡で作品展をやっており、今秋また来福するらしい。ヨーコ&ディクシャントが福岡のFar East ギャラリーのケアをすると言ったら、そのオープニングに何かプレゼントをくれるみたい。昨日、タカシとヒロからE−メールがあって、彼らも帰国早々から活発に動き回っている様子。ここしばらくは北九州から目が離せそうもない。


◆ホワイトローブのミュージシャン・シートから(2/3)

 昨日の2月2日、何かの間違いから、ホワイトローブの音楽家席に座ることとあいなった。そこで今回は、ブッダホール右隅にあるそのミュージシャン・シートから見た、ブラザーフッドの風景をお伝えしよう。

 ホワイトローブの音楽を統括しているのは、ミュージック・デパートメントのマ・サティヤムという声楽家。彼女がこれはと思う音楽家をひとり選んで、ある日のホワイトローブの音楽を担当してもらう。担当者は、前座から始まって最後のミュージック&サイレンスに至るまで、音楽全般の構成を考え、必要なミュージシャンを調達する。

 昨日はマ・デヴァ・ヨーコがその担当者だった。篠笛奏者であるヨーコは、日本の趣を出したいということで、前座(6:25-6:30)に和太鼓を配する。そして、中盤(6:30-6:40)は篠笛とギターの静かなからみ、メイン(6:40-7:00)はラテン風のにぎやかなダンス音楽、 ミュージック&サイレンスは篠笛の独奏、そしてサイレンスの最後は和太鼓でしめくくる、という感じの構成を考えた。

 そこで和太鼓には私にご指名が下り、そしてメインのダンス音楽には様々なウェスタンのミュージシャンたちが加わるのである―― リードギター、ベース、シンセ、ドラム、パーカッション……。この中には名古屋パーカッショニスト・サットプレムの顔もある。そしてミキサーはヨーコのパートナーであるスワミ・ディークシャントだ。

 音楽家たちは昼食の終わる頃、三々五々、マリアム食堂前にあるミュージック・ルームに集まってくる。そこで初めて顔をあわせ、リハーサルをするのである。リハーサルをしながら、細部の構成を考える。これがだいたい二時間ほどかかる。だからコミューンの昼下がり、マリアム周辺で楽の音が漏れ聞こえてきたら、それは当日のホワイトローブ・ミュージックだと思っていい。

 クンダリーニ瞑想が終わる5時半前後から、ブッダホールで音楽のセッティングが始まる。必要な楽器を搬入し、マイクをセットし、音を出しながらミキサーと入念にチェックする。ホワイトローブの場合、ダイナミックレンジ(動と静の範囲)が限りなく広いから、これはきっとたいへんな作業であるに違いない。ミュージシャンたちは暇を見てシャワーを浴び、白衣に着替えてくる。

 6時になると瞑想者たちがホールに入ってくる。調整作業はまだ続いている。白衣の人々が次第に増えるに従って、ホールの雰囲気もドラマチックに変容していく。

 6時15分にはセッティングも終了し、ホールは静寂に包まれる。わずかに、人々の足音、きぬづれの音が聞こえるのみだ。

 そして6時25分、担当者のゴーサインを待って、ミュージックが始まるのである。昨日の模様については、まあご想像におまかせしよう。5分間ほど私がひとりで太鼓を打ったのだが……。太鼓台の調整が悪く、変な共鳴音があったりして、なかなかうまくはいかないもんだ。(へんな話だが、おそらく、ホワイトローブ・ド素人独奏新記録を更新したことは確かだろう。なんとなれば私は、和太鼓なんて十数前に一度、祭の屋台でたたいたきりだったから)。初舞台であったから、いささか緊張していたのだろう、写真を撮るなんて考えも及ばなかった。したがって本日は、写真なし。


◆タカシからの手紙(2/4)

1月29日に帰国した九州・熊本のSwami Takashi & Ma Hiro。その後ずいぶん活発に動きまわっているようだ。こちらプーナにもその近況が毎日のようにE−メールでやってくる。そのたびにFar East Connectionオフィス前の掲示板に張り出して、みんなに見てもらうようにしている。ついでに日本のみなさんにもシェアしようということで、今回は特別、昨日の夜送られてきたメールをそのままご紹介することにしよう。

                           *     *     *

 というわけで、会員になりたい人は、マハラジャ、スードラを問わず、タカシのところへ連絡をとってみよう。スードラにもなれない人は、激励のメールくらい出そう。アドレスはluna-aso@mars.dtinet.or.jp。


◆Far East Meeting with Anando (2/6)

 毎週木曜4:30pmからおこなわれる、Far East Connectionのミーティング。今日はOsho のミディアム、マ・アナンドも参加した(写真・左端)。そもそもこのFar Eastオフィスは、アナンドの肝煎りでできたのだ。そうじゃなかったら、コミューンの真ん中にあるこんないい場所はなかなか頂けないのである。彼女によると、最初のうちはみんなけっこう疑心暗鬼だったのだそうだ。だいたい日本人と韓国人と台湾人がひとところに集まって仲良くやっていけるのか……と。

 ところがフタを開けてみると、これがけっこう花開いているのだ。この一ヶ月間に、極東三国が協力していろんなイベントをやっている。三国ランチ、音楽パフォーマンス、ロータスパラダイス茶会、ドラゴン・ダンス……。そして明日は旧正月なので、台湾の連中を中心にしてまたパーティだ。

 とにかく拠点があるということは、いろいろと便利だ。人が集まり情報交換ができる。そこからまた新しい動きが始まる。またコミューン内外の極東に関する問い合わせを一手に引き受ける――。そういえば本日、オフィスにやっとコンピュータが入った。いずれコミューンのLANにつながるのだけれど、日韓中三ケ国語のOS(Windows3.1)を導入せねばならず、まだまだ本格稼働は先のことになりそう。

 ともあれこのオフィスの繁栄ぶりに、仕掛人のひとり、アナンドも大喜びだった。みなさんも来プーの折には、ぜひこのオフィスに立ち寄って、しばらく遊んでいってもらいたい。


◆春節(2/7)

 今日は旧正月、中国では「春節」と呼ばれる。中国人社会のみならず、韓国などでも、この旧正月のほうが太陽暦の1月1日よりもずっと大きなお祭りなのだ。この日のために、台湾のサニヤシンたちがずっと前からいろんな準備をしてきたのである。さていったいどんな趣向とあいなるのか……。

 まずコミューンの正門に、朝から長冊(短冊のでかいやつ)が四枚ほど貼られる。よく中華街にあるよね、一メートルくらいの長さの赤い紙の上に、金文字でいろいろお目出たい言葉が書いてある。これが門の黒地に映えて、なかなかきれいだ。そしてメーン会場であるFar East前の小さな広場には、朝から中国風の飾りがキラキラしくほどこされる。

 昼休みの一時にスタート。まずは胡弓のスワミ・ネトラ率いる四国バンド(台・韓・日・香港)による、にぎやかな中国風ドンチャン音楽。私も含めた即席バンドで、みんなずいぶんハデに間違えたけど、まあご愛敬だ。続いて「笑う門には…」ということで、お笑い瞑想。しばしの沈黙のあと、台湾から持参の爆竹がコミューン中にこだまする(写真)

 あとはもう押すな押すなの大にぎわいだ。長冊や短冊に揮毫をするコーナーでは、上海の書家・邱正平と台湾の硯つくりのおじさんが並んで筆をふるい、長い列ができる。その隣には、朝からみんなで準備した台湾の珍しい茶とスナックをふるまうコーナー。僕も一杯いただいたが、甘酸っぱくてなかなかいける。対面には干支を見るコーナーがあって、生まれ年をもとに四人のカウンセラーたちが運勢を語る。これも西洋人たちにけっこうウケていた。

 というわけで、この騒ぎは昼休みが終わってもしばらく続くのであった。コミューンの中心部に、にわかにチャイナ・タウンが出現してみたいで、楽しいことこのうえない。とにかくみんな明るいのだ。また来年もこの日にはプーナにいよう。

 夏を思わせるコレガオン・パークに、また一陣の新しい風が吹いた一日であった。


◆彫刻家アシカ(2/8)

 なんたって石を投げるとアーティストにあたるというぐらい、芸術家だらけのこのコミューン。Oshoとの出会いによって、おのおのその芸風をドラマチックに変容させていくのである。 さてその中で今日ご紹介するのが、スワミ・アシカ。ポーランド系カナダ人の彫刻家だ。

 彼と出会ったのは二年前。飛騨の庭師スワミ・アナンドボーディがコミューンに水琴窟(すいきんくつ)を作ったときのことだ。水琴窟にはつくばい(手水鉢みたいなもの)が要る。そこで誰か石を刻む人を探していたところ、ニーラム(日本人)から紹介されたのがこの人。そのポートフォリオ(作品集)を見てすっかり気に入ったアナンドボーディは、彼につくばいの作製を依頼する。そこでアシカはバイクを駆ってプーナ近郊を走りまわり、気に入った石を見つけて、コミューンに搬入、一月ほどかけて見事なつくばいを創りあげるのである。つくばいの周囲に配された飾り石、および水琴窟に通じる飛び石も彼の作だ。

 そのほか、コミューンには彼の作品がいくつかある。その中で彼のお気に入りは、その『水琴窟』のほか、道場近くの『里程標仏』、そして写真の『禅マニフェスト』だそうだ。

 リサーチ・ライブラリーの入り口を飾るこの『禅マニフェスト』、メソポタミアの碑(いしぶみ)を思わせる一枚の石板だ。いったい何が書かれているのだろうと近づくと、何も書いてない。文字をすべて削ぎ落とした沈黙のページなのだ。「私の言葉を聞かずに、言葉と言葉の間の沈黙を聞きなさい」というOsho の言葉にインスピレーションを得て、作ったものだという。数千年の後、廃墟と化したOsho コミューンを発掘する考古学者は、きっとこの石板を掘り出して、いったい何という文字なのか首をひねることだろう。

 石を素材に何かを作るというのではなく、「石をして語らしめる」というのが彼の姿勢。その作品には東洋的な静謐がただよっている。九州でギャラリーを開くスワミ・タカシ、東京のテキスタイル・デザイナーであるマ・シャクティも、彼の作品をいたく気に入っている。

 今回アシカは二週間ほどの短い滞在。今日オーストラリアに向かって発つのだという。カナダに帰ってから自らのホームページを開設し、作品の写真を掲載するということだから、そのときにはまたご案内しよう。いずれ日本に呼んで活躍してもらいたいひとりだ。


◆本日の昼食(2/10)

 コミューンでの楽しみのひとつは、ズバリ、食べること。ここの食事に関してはとやかく言う人もいるけれども、オレはかなりウマイと思っている。ことに最近は厨房内も洗練されてきたせいか、味に一段の進歩が見られる。野菜も自家製か契約農場から来るから安心だ。

 だいたいオレはマリアムかゾルバで食うんだけれど、どちらもセルフ・サービスだ。料理が ズラッと並び、それを自分で取っていく。まず最初に西洋料理が一、二品並び、それから茹でた野菜類。それからインド料理のダールとサブジ(野菜カレー)が続く。取った分だけ、出口で食券払いとなる。

 そこで今日の私の昼食は、写真の通り。左下からダール・ムサカ、ダール・パラック、ご飯、左上からヨーグルト、パパイヤ。しめて92ルピー。

 ムサカというのはギリシア料理で、普通は茄子と挽き肉とチーズで作るんだが、ここでは挽き肉の代わりにダール(レンズ豆)を使っている。今日はゾルバで食べたから、ちょうどギリシアチックでよかった。ダール・パラックというのは、ほうれん草とダールのカレー。これをごはんと一緒に食べるとうまい。そしてヨーグルトはちょっと酸っぱいけど、カルシウム補給には欠かせない。そして最後はパパイヤ。これはとろけるように甘くて、ビタミンCもたっぷり。

 ところで今日は、ある人の代理でクロッサーをすることにあいなった。クロッサーというのは、食堂の出口で各人の取ったものを計算し、その分だけ食券上の数字を消していくというもの。おもしろそうだったから引き受けたものの……。これがかなりのゲキムなのだ。必ずしもみんな私のように美しく一品一ボウルずつ取るわけではないのだ。半ボウル取ったり、四分の三ボウルだったり、何品もゴチャゴチャ混ぜたり……。それを瞬時に計算して、数字を消していく。それも新品のキレイな食券ならまだしも、あちこちに1や2や3が残っている古い食券から、たとえば76ルピーを消すってのは、並大抵のことじゃない。私の前にはたちまち人々の長い列ができ、プレッシャーに弱い我が身は四苦八苦……。そこで私は思ったのだ、これからクロッサーの前でいかに待たされようと、決して「このウスノロ」なんて心の中で呪うまいと。  


 

◆草はひとりでに生える(2/11)

 Osho が講話の中で一番多く引用するhaikuに、次のようなのがある、

 Sitting silently, doing nothing.
 Spring comes and grass grows by itself.

 邦訳するとこうなる、

    静かに座り、何もしない
    春は来たりて、草はひとりでに生える。

 芭蕉の俳句だとOsho はいうのだが、ハテ、芭蕉にそんな俳句があったかしらと、長い間フシギに思っていたものだ。

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 Osho の居住していたラオツ・ハウス(老子館)に、Osho の図書館がある。ここにはおそらく一万を越えるであろうOsho の蔵書が収められている。青大理石の床はチリひとつなく磨きあげられ、およそこの世で一番美しい図書館であろう。

 僕は翻訳者の特典で、ときどきここに出入りする。俳句の出典を調べるのだ。Osho 最後期の講話である禅シリーズには、必ず日本の「俳句」がひとつ出てくる。もちろん英語に翻訳されたものだ。それを再び邦訳するときには、やはり日本語のオリジナルを添付しないと格好がつかない。古典の知識に乏しいせいか、英訳の俳句から日本語オリジナルを類推するのは、なかなか難しい。An ancient pond, a frog jumps in, the sound of water くらいだったら誰でもわかるが、そういうのばかりじゃない。

 俳句は多くの場合、質問係のマニーシャがOsho 図書館の蔵書の中からピックアップしたものだ。その種本はすべて俳句関係の英語の本だが、そこにはしばしば日本語オリジナルが掲載されている。そこで僕はそうした種本を参照しに、Osho 図書館へ入るわけだ。

 多くの本はOsho がむかし読んだものだ。傍線が引いてあったり、印がつけてあったりする。そして表紙裏にはOsho のサインがある。ときには鎌倉のユニティーから出ている「Osho シグニチャー・シリーズ」にあるような、彩色の豪華サインにも出くわす。

 今日は韓国語翻訳者を案内して図書館に入った。やはり俳句の原典を調べたいのだという。司書のラビアはアフリカ系アメリカ人。気のいいおばさまで、今ではすっかり仲良しだ。

 このラビアを中心に、数年前からOsho 講話に出てくる引用について、その出典をすべて調べあげるという作業が続いている。でも俳句に関しては半分くらいしかわかっていないらしい。ともかく彼女に、その出典一覧を見せてもらう。その中に、例のSitting silentlyも見える。作者の欄には「芭蕉」とある。

 「じつは…」と言って、年来のギモンをラビアに話す。

 「あら、そうなの」と言ってラビアは、そこに記された種本を何冊か書棚から持ってくる。それを調べていくと、案の定、これは『禅林句集』という本に掲載されていた中国の古い偈(げ)であった。

 この『禅林句集』というのは室町時代に 日本で編纂された本で、中国禅の黄金時代に作られた禅門の詩歌を集めてある。
 そして Sitting silentlyのオリジナルはこうであった、

 兀然無事坐
 春來草自生


◆India my Love (2/14)

 本日コミューンで新しい本が発売される。題は『 India my Love』、これはOsho のインドに対する愛を一冊の本にまとめたものだ。これはOsho の遺志に添って作られたもので、なんでも彼は「写真入りの美しい本にしなさい」と語ったらしい。そこで本日発売されたこの本、表紙からして最近のOsho 本のなかでも出色のできばえだ。中を開くと、ところどころに美しい写真が配され、本文のレイアウトや背景にも様々な意匠が施されている。紙もぴかぴかの上質紙。値段も600ルピー(約二千円)と出色だ。しかしコミューンで買うと220ルピーとお買い得。

 約一週間前の2月6日、ニューデリーのヒルトン・ホテルで本書の出版記念パーティがあった。そのときテープカットをしたのが、前蔵相のマンモーハン・シン博士。この人は政治家ではなく、世銀の要職も務めたインドきってのエコノミスト。成長いちぢるしいインド経済の青写真を描いた人として、世に名高い人物である。夜にはタブラの名手ザキール・フセインを中心とする、パーカッション・コンサートがおこなわれる。当日商用でデリーに居合わせた東京のテキスタイル・デザイナー、マ・シャクティおよびマ・ディクシャも、取引先のインド人一族をさそってニューデリー・ヒルトンに出かけたのだそうだ。中庭の仮設会場にはOsho の本やテープなどが美しくディスプレーされ、なにやらデリーのやんごとなき人々の社交場のごとき雰囲気。ザキール・フセイン等のコンサートはすごく楽しかったらしく、シャクティたちはその取引先のインド人に大いに感謝されたという。翌日にはインドの各紙に写真入りで大きく報道され、まこと、Osho をめぐるインドの風向きも、だいぶ変わったものよ。


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