記 1998


Ten Tousand Buddhas (11/15・17)

 というわけで11月11日の水曜日、めでたく当オショーごっこもヒット数一万を越えたのであった。
 このサイトをオープンしたのが一昨年の九月だから、二年ちょっとの累計ということになる。
 みなさん、おつきあい、どうもありがとう。

 そうしたご愛顧に感謝しようと、先週の月曜日(11/9)、ヒット数9920のころ、「そうだ、一万人目の人に何かプレゼントしよう」と思い立ったわけ。
 ちょうど手許に、出版されたばかりの「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ112枚の瞑想カード」があったので、それを記念品として、フロントページにTen Thousand Buddhas Present!というのをアップしたのであった。

 このTen Tousand Buddhasというのは、1989年、晩年のオショーが、オショーコミューンのブッダホールに集ったサニヤシンたちを指して使った言葉だ。始めはFive Tousand Buddhasと言っていたのが、いつのまにか二倍の一万になっていた。(ただし、当時ホールの入口で整理係をしていたSw.Majnuによると、実数は二千台だったという)
 それにちなんで、Ten Tousand Buddhas Presentと銘打ったわけ。

 当サイトのヒット数は、通常一日20件ほどだから、9920を数えた月曜夜の時点では、一万到達の予測は四日後の13日(金)だった。
 ところがプレゼントのアナウンスをすると、とたんにアクセスが増え始め、翌日の火曜は40、翌々日は60という具合で、あっさり二日後の夕方には一万を越えてしまった。
 (そして二日も経つとまた20くらいに戻ってしまうんだから、みんなゲンキンだねえ)

 さてその記念すべき一万人目のブッダとなった人は、同じ市内に在住の友人、高木のりこさんだった。
 ウチから車で十分ほどのところだから、おそらくは当サイト訪問者の中でも、もっとも近くに住んでいる人だろう。グローバルを標榜するインターネットだが、なんとまあローカルな人に当たったものかと感心したものだ。
 この高木さん、毎日当ホームページをチェックしているとのことだから、これも日頃の積善の報いなのであろう。

 そこで今日15日、さわやかに晴れ渡った日曜日の昼下がり、秋川のほとりにある高木さん宅を訪ね、「タントラ112の瞑想カード」をプレゼントしたのであった。彼女もこのカードがほしいと思っていたということなので、渡るべき人の手に渡ったということだろう。
 そこで、日の傾きかけた秋川渓谷をバックに記念写真を一枚。
 まだサニヤシンではないけれどもオショーのファンだという高木さん。せいぜいこのカードを使って瞑想に励んでください。  (以上11月15日記)

◆  ◆  ◆

 ところで、高木さんが連絡をくれた翌日、秋田に住むスワミ・プラマタという怪人物から、「やっほー やったぜ〜10000人目」というメールをもらった。それとともに、左のようなスクリーンショットが送られてきたのである。

 じつは、このプレゼントのアナウンスに、「10000番をゲットした人は、スクリーンショットをメールに添付して送ってください」と書いておいたのだ。しかし世の中にはスクリーンショットを知らない人もいる。そーゆーローテクの人には、普通の写真に撮って送ってくれてもいいよ、と言い添えた。
 高木さんはスクリーンショットではなく、ブラウザの画面をプリントアウトして見せてくれた。なるほど、それでもよかったわけだ。

 さて、そのプラマタが、スクリーンショットとともに、一万人目を宣言してきたのだ。
 アレッ、おんなじ番号を複数の人がゲットするってことがあるんだろうか?
 と思ってよく見ると、0がひとつ多いんだな。おおかたスクリーンショットをフォトショップかなんかでいじくったんだろう。

 この怪人物プラマタ。以前に何度かメールでやりとりしたことがあるのだが、八重山の怪神アカマタと名前が似ているので、何となくアヤシイやつだと思っていたのだ。
 後々のメールでプラマタは「オレは一億人目のブッダだ」とかのたまっていたが、一億じゃなくて十万だろう。(算数は不得意らしい)
 さらには「100番ごとに景品をくれるなら、もっと頻繁にアクセスするんだが」とか言っておったが…。
 う〜む、1アクセスにつき10円オレの口座に入ってくるなら…考えないでもないが、ま、今んとこは一万単位だな。

 ただ、スクリーンショットってのは、こうも簡単に偽造できるわけだから、たとえば二万人目のブッダにプーナ往復航空券を出すってな場合、カウンターにスカシを入れるなど、偽造防止策を考えとかないと。  (以上11月17日記)


檜原山中のシタール (9/27)

 おもしろい取り合わせだと思うが、私の住む養沢の谷から、更に車で30分ほど山奧に入った東京都檜原村湯久保の民家で、インドの名手によるシタールの演奏会があった。
 檜原村といえば都内唯一の村(島嶼を除く)で、「東京のチベット」と呼ばれるくらいの山村だ。特に湯久保の部落といったら、標高も650メートル。山の稜線に近く、ヒマラヤのアプローチみたいな急峻な坂道を登っていく。なんでこんなところに「シタールの巨匠モニラル・ナグ」が、というような場所だ。その「民家」というのは、百年以上も昔に建ったもので、現在は中学校の先生である丸山さん一家が住んでいる。
 この丸山夫妻が自宅を開放して、いろんな企画を行っている。このシタール演奏会もそのひとつだ。

 最近すっかり東洋古典音楽にはまっているので、「こんな近くでインド古典が!」って感じで、駆けつけたのだ。
 しかし、それほど期待もしていなかった。なぜかというと…。
 オレはプーナのオショーコミューンで、それこそ超一流のインド古典音楽コンサートをいくつも聴いている。ハリプラサード・チョーラシア、シヴクマール・シャルマ、ザキール・フセイン、パンディット・ジャスラージ…。いずれもインドクラシック界の綺羅星のごときスターたちだ。ところが…。
 30分もすると、退屈して眠ってしまうのだな。音楽自体はすばらしいのに、どうしてだろう…。

 とゆーわけで、あんまり期待はしていなかったのだ。
 開演を待つあいだ三十分くらい、既にコックリコックリ眠ってしまったしね…。なんか今日のコンサートの行く末を暗示するかのような…。

 ところが…。
 これが想像以上に良かったのだよ。
 二時間くらいのコンサートだったが、ぜんぜん退屈しなかった。
 とにかくその場にいるのが気持ちいい。いったいどういうことだろう?
 それで気づいたんだけど、オレは別に音を聴いているわけじゃない。
 演奏者のエネルギーに浴し、その場に醸成される雰囲気にたゆたっていたのだ。

 これはプーナでは起こらなかったことだ。
 思うに、そもそもインド音楽とは、ブッダホールみたいな大きな会場で聴くものではないのだろう。
 音だったら機械的にいくらでも増幅できるが、演奏家のエネルギーはそういうわけにはいかない。距離の三乗に反比例して弱まっていくのだ。
 今日の僕みたいに、演奏家から二、三メートルのかぶりつき距離にいたら、そのエネルギーにふんだんに浴することができる。それがすごく気持ちよかったのだ。インド音楽の楽しみ方を知ったような感じだ。

 西洋音楽には譜面がある。だからこそ、その演奏は「再現芸術」と呼ばれるのだ。演奏家たちは、その再現の技倆を競う。
 それにつれて楽器や演奏スタイルも、より正確で大きな音が出せるように進化する。そして演奏会場もどんどん大きくなる。とにかく、より正確に再現し、より大きな聴衆にアピールする ― 。それが西洋音楽の方向性だ。たしかに興奮はする。しかしだ…。
 十九世紀初頭にウィーンでつくられたコンチェルトを、どーして今、東京芸術劇場で拝聴しなくちゃならないのか、という疑問は消えない。

 インド古典はそうじゃない。ラーガという基本形はあるが、大部分は演奏者に任される。即興の音楽だ。その音楽は、演奏者どうし、そして奏者と聴衆との交感によって生じてくる。
 ごらんのような檜原村湯久保の古民家で、インド人がインド楽器で演奏するんだけど、これがちゃんと1998年9月27日夜の湯久保を体現しているのだ。ウィンナ・シュニッツェルやウィンナ・コーヒーじゃなくて、檜原の地元料理になって供される。これはおもしろい現象だと思った。(写真左から、マラー・ゴーシュ〈タブラ〉、モニラル・ナグ〈シタール〉、加藤貞寿〈タンブーラ〉)

 ところで、コンサート後の懇親会に、地元のおばさんがコンニャクを持ってきてくれた。今日畑からコンニャク芋を掘って、半日がかりで炊いたんだという。あんなの初めて。すごくうまかった。


すべての武器を楽器に (8/23)

 ウパニシャッド(喜納昌吉)の有名なスローガン、「すべての武器を楽器に」。
 これはもともと、オショーの講話に由来している。

 "悲しみたいと思っている者は誰もいないし、自分自身を痛めつけたいと思っている者もいない。世の宗教や政治家こそが、人々を悲しませ、苦しめている。というのも、人々の苦しみの中にこそ連中の商売があるからだ。もし人々が笑い出し、踊り出し、銃を放り出して、ギターを手にしたら……
 イエスは弟子たちに「自らの十字架を肩に担え」と言った。そんな戯言に耳を傾けてはいけない。肩にはギターを担え。そして唇には初々しく芳しい笑いを湛えるのだ。"         『禅火禅風』#5 1989/2/3
    

 そう、これはなかなかすばらしいスローガンなのだ。
 で、銃を放り出して、いったいどんな楽器を手にしたらいいのか。
 ギターか、ピアノか、それとも?

 オレもいままで、いろんな楽器を手にしてきた。
 「声」から始まって、ピアノ、ハーモニカ、リコーダー、洋太鼓、トロンボーン、サックス、ホルン、フルート、和太鼓、三味線、尺八……。
 そして最近、ある理解に達しようとしている。
 結論から言おう。
 もし今から楽器を始めるなら、ギターで「禁じられた遊び」を弾いたり、ピアノで「ネコ踏んじゃった」を練習するのはやめときなさい!
 和楽器をやりなさい!

 煩雑な議論は省略するが、洋楽器と和楽器では、そのベースとなる音楽に大きな違いがあるのだ。

 キリスト教を背景とする西洋音楽は、基本的にハートの音楽だ。ハートの音楽は、時空をすべて音で満たすことで成り立っている。ちょうど西洋絵画と同じだ。カンバスの隅から隅まで絵の具を塗りたくる。
 時空を音で満たす場合、その音の音色、トーン、陰影、リズムなどの要素が非常に大事になってくる。つまりテクニックだ。
 西洋音楽の場合は、まずテクニックを身につけないといけない。
 そして楽器も、そのテクニックに正確に応えるよう、常に均質の音が出せるよう進化してきた。
 だから、初心者がたとえばピアノの前に座ると、まさにそれはお仕着せの規格品で、なんとも味気ない。誰が弾いてもおんなじ音が出る。
 そもそもそれは、プロ級のテクニックを持った人に向けてデザインされたものなのだ。
 テクニックのないあなたにとって、それはまさに、サルがパソコンのキーボードをたたくようなものだ。

 それからもうちょっと瞑想的なことを言おう。
 ハートの段階までは、まだ個人が存在する。
 胸に手をあて、「ああ神よ!」と嘆ずる「あなた」がいる。
 だから、いかにすばらしい音楽が存在したとしても、それがハートのモノである限り、そこには固有名詞がつく。
 あくまでもそれは、「モーツァルトの作品」であり、また「パヴァロッティの演奏」なのである。
 その固有名詞たちは、西洋音楽の到達した創造性と技の頂点だ。
 そして西洋音楽には、そうした天才たちを頂点とするピラミッド構造が厳然として存在している。
 そしてピアノを始めるやいなや、あなたは否応なくそのヒエラルキーの最底辺に組み込まれてしまうのである。

 さらに言えば、いくらあなたががんばったところで、決してモーツァルトを超えることはないし、
 また、日本人が日本語を使う限り、この国からはパヴァロッティを凌駕するようなテノールは永久に出ない。

 ところがだ、和楽器というのは、ひとつの奇蹟だ。
 たとえば、オレは一月ほど前から尺八を吹き始めた。
 日本の尺八界には、たとえば「横山勝也」という第一人者がいる。
 たしかにそのCDを聴くと、すばらしい。オレもあんなふうに吹けたらと思う。
 しかし、オレの音はあくまでもオレの音だ。
 べつに横山勝也に劣るものではない。
 そもそもそこには、どちらが優れているかというような、比較の入り込む余地がないのだ。

 その背後には、東洋音楽の性格がある。
 東洋の音楽は、その一番深いところに、瞑想がある。
 瞑想とは、「無」だ。
 音楽に即していうと、無音、すなわち静寂だ。
 もはやそこには、「あなた」も「私」もない。
 そしてもちろん、優劣を論ずる余地もない。

 というわけで、西洋音楽は、興奮と感動とハートの喧噪の中で大フィナーレを迎えるが、
 東洋音楽は、無の中へ消えていく。
 どちらを選ぶかはあなたの勝手だが、ひとつ言っておくと、他人を感動させられるまでのテクニックを身につけるってのは、並大抵のことじゃない。だからどの家庭でも、ピアノが粗大ゴミか飾り棚のごとく放置されているのだ。

 和楽器にテクニックはいらない。
 ひとつの音を延々と鳴らし続けるだけでも、立派な音曲となる。
 もちろんテクニックはあるに越したことはない。だからいくらでも練習の余地はある。
 しかしそれは畢竟、飾りでしかない。
 音を超え、技を超えたところにある、静寂、それこそが肝心なのだ。


ぐるっと台湾ひとめぐり(4/10)

 3月27日に台北空港に到着し、そして二週間後の今日4月10日、ふたたび台北空港にいる。ビザなしで台湾にいられるのは二週間までなので、まさにぎりぎりまで滞在していたことになる。
 台中で行われた手織物シンポジウムの後、ある文化人類学者にくっついて、三地門、蘭嶼島、港口、花蓮と台湾原住民のもとを訪ね、そして再び台北へと戻ってくる。台北では友人のネトラのもとにやっかいになる。
 3月30日の日記にも書いたとおり、彼は台湾の中でもアクティブなサニヤシンだ(下の写真を参照)。目下、台北市内にある実家の自室をオショーのインフォメーション・センターにしようと画策中だ。
 彼によると、台湾のサニヤシンは二千人くらいにのぼるのだそうだ。人口二千万の国だから、サニヤシン密度は日本よりも高いといえる。オショーの本も五十点ほど翻訳出版されている。そのうち四十点がオショー台湾大使のSwチャンダナの手になるものだ。年に四冊くらいのペースで出版していることになる。それくらいの貢献をしないとオショー大使にはなれないのだ。オレなんか十二年間で十二冊だから、まあ、オショー小使がいいところかな。
 昨日、市内にある高島屋に行ってみたら、紀伊国屋書店があったので、フラリと入ってみた。すると、哲学心理のコーナーにチャンダナの訳したオショーの本がズラッと並んでいた。オショーの本の人気は年々高まっているのだそうだ。約200円で買えるポケット版の本も先日発行されている。
 また『身心霊的天堂楽園』という題の、サニヤシンの書いた本も平積みされていた。これはロニカという台湾人女性の手になるもので、オショーやプーナコミューンのこと、自身のオショー体験などを書きつづったものだ。漢字だからだいたい中身が推測できる。この手の本は台湾では初めてだという。(日本ではそうした本はまだ書かれていない)。チャンダナが序文を書いている。
 ネトラの著書(鍼関係)も並んでいた。彼のペンネームは「眼蔵」で、これは「アンタール・ネトラ」の意訳だそうだ。著者紹介のところに「眼蔵大師」と書かれていたので、笑ってしまった。
 ついでに僕も、Advait Parva の音訳と意訳を彫り込んだ印を作ってしまった。音訳は「春゜馬」。(春゜で「ぱる」と読ませる)。意訳は「不二祭」だ。これからのち、拙著拙訳には、サインの傍らにこのハンコを押そうと思っている。(写真右・実物大)
 というわけで、今、台北発羽田行き中華航空18便の機中。フレッシュなエネルギーに満ちあふれた、この因縁浅からぬ隣国を後にしたのである。


台湾の兄弟姉妹(3/30)

 今、台湾を訪ねている。
 その理由のひとつが、この国のサニヤシンたちに会うためだ。
 最近プーナのコミューンでは、台湾からの来訪者がとみに増加している。そして、新しいもの好きのオレなんかは、昨年あたりから、よく台湾のサニヤシンたちとプーナで遊んだりしたものだ。彼らはとっても新鮮で、明るくって、楽しいのだ。中でもいちばん親しくしてきたのが、ネトラという名のサニヤシン。まだ三十になるかならないかなのに、もう鍼師として一家をなし、著作をしたり後進の指導にあたっている人なのだ。
 今回ぼくらは台北空港で落ち合い、台中でおこなわれた手織物のシンポジウムで三日ほど行動を共にした。左の写真は今朝、ホテルのレストランで撮ったもの。右側がネトラで、左側がガールフレンドのパドミニ。彼女が織物に興味があるというので、この行事に一緒に参加したのだ。
 台湾のサニヤシンたちは、お祭りが大好きだ。今年の冬のプーナでも、極東三国では、彼らが先頭に立ってお祭りをやっていた。その中心となっていたのが、このネトラとパドミニだった。いわば台湾のお祭り男とお祭り女なのだ。
 彼らはまた、インターネットのオショー.orgサイトの中国語版も今、編集中だという。中国語といえば、大陸と台湾とでは漢字が違う(大陸では簡略字体が使われる)のだが、その点問題ないのかと尋ねたら、簡単にスイッチする仕方があるのだそうだ。ということは、彼らは十億を超える人々に向かってオショー のメッセージを発信するわけであり、これはなかなか壮大な試みであろう。ほかにネトラは『禅宣言』の中国語訳も構想中であり、なかなかアクティブなサニヤシンなのである。
 彼らにはまた一週間後、台北で会うことになっているので、またお伝えすることもあるだろう。
                              高雄に向かう車中にて記す。


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