か日誌 99/2月

このページについて、質問や要望のある人は、parva@din.or.jpまでメールを! 
=一般成人向け XX=瞑想に関心ある人向け XXX=サニヤシン向け XXXX=常連読者向け XXXXX以上は各自の責任において読む


2月1日 怪奇の人

 というわけで私は、なんの因果か、プーナの住宅問題に足をつっこむハメになってしまった。
 すなわち、「プーナ来訪のサニヤシンたちに、いかに安価で良質な住まいを提供するか」という、極めてベーシックな課題である。
 ここで登場するのが、福岡の怪人アナディである。

 なぜ怪人と呼ぶかというと、容貌が少々怪異であることと、にもかかわらず奇特な人物であるらしいからである。怪異と奇特を合わせると「怪奇」。それで、怪奇の人アナディ、略して怪人アナディというわけだ。
 福岡出身の九州男児。歳の頃、四十。どーゆーふうに容貌怪異かというと、まず髪の毛が長いらしい。「らしい」というのも、よくわからないのだ。いつもネッカチーフを頭に巻いて束ねている。そしてヒゲも長い。元千円札の伊藤博文くらい長い。ま、長いのはかまわないが、口ヒゲくらいは短めにトリムしたほうがよかろう。というのも、チャイかなんか飲むと、その長い口ひげに、チャイの茶色いしずくがブラ下がってたりするのだ。

 で、前々から変なヤツだな〜(ヒトのことは言えないが)と思っていたのだが、そのうち、コミューンのブティック奧の一画にデスクを設け、ワークをし始めた。
 これはアコモデーション(住まい)デスクというもので、日本人外国人を問わず、プーナで部屋を求める人にその情報を提供するというものだ。手許のファイルには何十もの空室情報がリストアップされ、デスクを訪れる人の相談にのる。
 気に入った物件があったら、仲介者(すなわち私設不動産屋)に引き合わせ、スクーターの後ろにのっけてやるというわけだ。
 つまりアナディの情報は不動産屋の持ち物件をまとめたものであり、家主と直に結びつけるものではない。
 ただ、私設不動産屋は機動力があり、手軽にあっちこっち連れてってくれるわけだから、便利は便利である。アナディとしてもそこまでは面倒見きれない。
 というわけで、アナディの紹介自体はコミューンワークとして無料なのだが、不動産屋に手数料を取られるという点では変わらないわけだ。

 そこで私は離プーにあたって、家主シャムダスと怪人アナディを結びつけようと思ったのだ。シャムダスはコミューン周辺に現在六十室、年末までには手持ち百室を越えるというから、2000年大祭を前にして、活用すべき有効な資源だと思ったわけ。前々からヴィッキーのような私設不動産屋に不満をもらしていたから、アナディに引き合わせばきっと喜ぶだろうと思ったのだ。
 このシャムダス、たしかに欲深かもしれないが、やることはけっこうキチンとやるのである。今までボンベイで大きなビジネスを展開していただけのことはある。
 で、ある晴れた朝、(毎日晴れているのだが)、シャムダスの家にアナディを連れてきて紹介したわけだ。そしてシャムダスに、手持ちの空室を手数料なしでコミューンで紹介したいというプランを提示したら、大いに興味を示すのである。
 しかしながら直でやるためには、不動産屋なみの機動力が必要だ。そこでシャムダスいわく、アナディから連絡があれば、車をコミューンにまわしてテナントをピックアップしてくれるという。(スクーターより待遇がいい……。オレなんかよくシャムダスのトヨタ・クラウン・ロイヤルサルーンでコミューンに乗り付けたもんだ)

 というわけで、シャムダスの資産活用プランについては、後をアナディに託し、私は離プーしたというわけ。
 アナディはパソコンも持参しているので、その活用も考えている。すなわち、SE(システムエンジニア)であるフィラクの協力を得て、空室情報をデータベース化しようというのだ。(ゆくゆくは来プー前に、ネット上で空室をチェックできるようになるかも)
 ともあれ、彼はコミューンのファーイースト(極東)オフィスとも緊密に連絡を取りながらワークしているので、その活動についてはまた同オフィスのマハスックから、HPなりサニヤス掲示板経由でお知らせが入るであろう。

 というわけで、次回はプーナ極東商事社長マハスック、あるいは、謎のSE仮面フィラクの活動について。


2月2日 翻訳者の優雅な生活

 青山に来た。
 二ヶ月ぶりだ。
 ちょうど昼食どきだったから、街に出た。
 久しぶりにやって来たこのスノッブなファッショナブル・タウンで、さてどんなファッショナブルなランチをいたしましょうかと、ルンルン気分であっちこっち見回すと、かっちょいいおネエさまがたや、ステキなおじさまがたが通りを闊歩しておられる。
 さすが青山と感心しておると、横町の入口あたり、ピカピカ光る小さな電光掲示板に「ラーメン」の文字が明滅しているではないか。かくして私はあえなく地下の一個的大衆的台湾食堂に沈没、ファッショナブルなランチはひとたまりもなく、「醤油ラーメン+チャーハンしめて950円」へと変身を遂げるのであった。
 インド帰りの身には、思いがけぬことがいろいろ起こるものである。

 で、なんで私が養沢の山奥から青山くんだりまで来たのかというと、これも日々の糧を得るためなの営みだ。
 サニヤシンつまりオショーの弟子ってのは世を忍ぶ仮の姿であって、実は私、この界隈にある某ギャラリーの経営に携わっているのである。

 ところで、よく言われるのだ。
 ぱるばって、優雅だよなあ、毎年プーナに行けるし、いつも好きなことやってるみたいだし、いったいどうやって生活しているんだろう。たぶん、オショーの本をたくさん訳してるから、きっと印税がいっぱい入って、それで優雅に生きてるんだろう……。
 とか。

 ま、大方において正しい。しかしながらだ、途中の論理に多少かつ重大なる誤りがあるので、指摘しておこう。
 この「ぱるばは優雅だ」という結論の根底には、以下のような三段論法がある。

1.ぱるばはオショーの本をいろいろ訳している。(大前提)
2.オショー本の訳者にはガッポリ印税が入って、優雅に生活できる。(小前提)
3.それゆえぱるばは優雅に生きている。(結論)

 この一番目と三番目は正しい。しかしながら二番目の小前提は誤っている。
 オショーの翻訳者なら誰でも知っているが、オショーの翻訳をしていると、お金は減るばかりなのである。効率的に言ったらケンタッキーフライドチキンのアルバイトをしているほうがよっぽどマシだというのが識者の一致した見解だ。
 にもかかわらず、歴代のオショー翻訳者はみなそれぞれに、優雅な生活を送っておるのである。
 プラブッダは屋久島の山中で優雅に暮らし、パリトーショは丹沢の山中、ソパンは静岡の山中、オレも養沢の山中で…という具合。どういうわけかみんな山が好きだなあ。そういえばモンジュも岡山であった。

 みなさんつとに御存じのことと思うが、オショーの世界では、世間一般の三段論法は通用しない。
 だいたいが一刀両断の一段論法。
 すなわち「…は優雅に生きている」という結論のみである。
 この「…」の中には、もちろんあなたの名前が入る。
 大前提も小前提もない。有無を言わせぬ結論のみの論理。
 ひたすらに、ひたぶるに、「あなたは優雅に生きている」のだ。

 ただし哀れな頭人間である翻訳者という人種に関して言うと、一挙に三段を一段にするとショック死しかねない。
 それで、慈悲深いオショーは一段を特別に保留し、二段にして遊ばせているというわけ。
 すなわち、

1.ぱるばはオショーの本をいろいろ訳している。
2.それゆえぱるばは優雅に生きている。

 というわけ。
 すなわちオショー翻訳という徳行によって、金銭はさておき、優雅に生きているという論理。

 しかるにだなあ、さすがのオレも、十二年も翻訳者をしていると、そろそろこの二段論法にも飽きてくるのだ。
 それでオショー翻訳という唯一の前提も落とし、ただ単に「ぱるばは優雅に生きている」だけになろうと思ったわけ。
 それで翻訳者も、もうや〜めた、ということなのだ。
 みなさん長い間おつきあいありがと。

 しかしながらだ、この二段論法はオショーのしかけた強力な方便であって、効果は依然、抜群なのである。
 それゆえに、優雅な生活をしていない頭人間である諸君!
 オレは言ひたい。
 まずは、力をつくし、心をつくして、オショーの翻訳をやってくれたまへ。


2月3日 真夜中のカタストロフ

 最近ちょっとカタい話題が続いたので、今日はぐっとソフトに行きたいと思う。
 というわけでパソコンの話。
 いや、別にシャレを言ってるわけじゃない。
 オレにとっちゃ今では、女性談義よりもパソコン談義のほうが、ソフトな話題なんだなあ、これが…。
 まさに、病膏肓(やまいこうこう)。

 ことの始まりは、ちょうど二ヶ月前の12月初旬。
 インドに渡る直前、池袋のビックパソコン館で、PCカードを二枚購入したのである。
 一枚は85MのフラッシュATAメモリカード、そしてもう一枚はLANカードだ。
 PCカードというと、デスクトップパソコン所有者には縁遠いかもしれないが、ラップトップ(ノート型)には極めて便利なものだ。名刺サイズの手軽なカードで、本体に挿入し、様々な機能を追加する。

 まずはフラッシュATAメモリカード。インドにはアップルのPowerBook2400を持っていくつもりでいたので、(2400にはCDドライブがついていない)、万一のハードディスクトラブルに備えて、このカードを買ったというわけ。
  85Mの容量の中に、絞り込んだMacOS8.1システム約38M、それからトラブル修復ソフトのノートンなどを入れる。
 売場のお兄ちゃんは「このカードは起動ディスクにはなりませんよ」とか言っておったが、Macでフォーマットしなおし、コントロールパネルで起動ディスク指定して再起動をかけたら、ちゃんと起動した。
 日本語入力ソフトや辞書類もすべて入れておいたから、ハードディスクを停止させても、日本語で作文できる。(だからこうした日記みたいに、ほかのソフトを起動せずひたすら書き綴るようなときなど、オレはわざわざこのメモリカードで起動し、ひとり静かにキーボードに向かうのである。夜中パソコンの音がウルサイと家人から苦情が出る向きには、検討の価値ありかも)
 またもう一枚のPCカード、LANカードは、コミューン内でコンピュータネットに接続し、インターネットを行うためのものだ。

 そしてオレは満を持して、12月6日早朝の出立に備えるのであったが…。
 好事魔多し。
 旅立ちを数時間後に控えた前日の夜中、PCカードを出し入れしてテストしている最中、突如PowerBook2400のPCカードスロットが利かなくなってしまったのだ。いくら挿入してみても、カチッとはまらず、認識もされない。
 PB2400といったら、Macの中で唯一のモバイル機。ソニーのバイオなんかに比べるとその機動性はだいぶ落ちるんだけど、重量2キロはMac中最軽量。「悟空」と名付けて一緒にインド旅行するのを楽しみにしていただけに、ふたり(オレと悟空)の落胆も大きい。
 しかしいくら嘆いてみたところで、壊れてしまったものは仕方ない。そこで急遽、普段メインで使っているPowerBook1400を持っていくことにした。
 しかしこのときほど、ラップトップを二台持っていて良かったと思ったことはない。

教訓1 モバイル大好き人間は、メインマシンもラップトップにすべし。

 おそらくモバイル(機動)マシンというのは、小さな体に機能をめいっぱい詰め込んであるので、そのぶん故障もしやすいんじゃないかと思う。そしてパソコンの故障というのは、まさに晴天の霹靂、突如として襲ってくるものだ。
 オレなんかの場合、インドへ向けて出発する六時間前だぜ。あせったよ。(でも逆に言うと、出発後じゃなくて良かった〜)
 ともあれ、そうした不測の事態にも対応できるよう、気軽尻軽な機動派はメインもノート型にしておこう。

 オレもな〜、ちょっとあこがれてたんだよな〜。ミニタワータイプのデスクトップ機に、スマートで広々とした液晶ディスプレーを配し、キーボードを手前に引き寄せ、斜に構えてカチャカチャやるってゆうプロフェッショナルな風景を。
 でも今回のトラブルで、そうした淡い夢もふっきれた。

 でもさあ、昨日、二ヶ月ぶりにビックカメラへ行ったんだよ。今度は渋谷の。そしたら、パソコン売場に、不二家のポップキャンデーみたいなiMacが、ズラズラって並んでるじゃん。
 かぁわいーよな〜。
 なに考えてるんだろうねぇ、アップルは。
 どーせやるんだったら、プラスチックばっかりじゃなくて、
 ナチュラル素材なんかも考えてほしいよ。
 竹とか、桐とか、埋もれ木とか。
 インド用にはチークとか、白檀とか、牛糞とか。

 というわけで、次回は孫悟空の活躍について。


2月4日 孫悟空の大冒険

 では昨日の予告通り、孫悟空の活躍の一段をば、ひとくさり…。

 あっ、その前に、東北の雪空のもとから舞い込んだメールに答えとかないと ― 。

 おととい本欄にて、「翻訳もうや〜めた」宣言をしたのであった。
 すると、秋田のP氏より、「え〜、ほんとにやめちゃうの? これはきっと反響大きいに違いない。さぞや感慨深いものがあるだろうね」というメールを頂いたのである。(こーゆーメール、大歓迎)

 ところがねえ、P君、ほとんど何の反響もないのだよ。(キミのメールだけ)
 実は同種の宣言は既に二月半ほど前、サニヤス・ネットワーク・メーリングリスト(snml)上でも、ことのついでに流したんだけど、そのときもあんまり反響なかったなあ。
 つまり、どうでもいいことみたいよ。
 それから感慨についてだけど、これもあんまり、ないんだなあ。

 だいたいオショーの翻訳なんて、「よしっ、翻訳してやろう」って具合に、意を決してやるもんでもないと思う。
 オレなんかの場合も、ほぉんとになりゆきだったなあ。
 あれは今を去る十三年前。
 ギリシアでオショーに弟子入りし、数ヶ月後に帰国。(この「ギリシアのオショー」については、近いうちupするから待っててね!)
 これはみんな経験することかもしれないが、日本に帰ってきても、な〜んにもすることがない。
 それで当時懇意にしていた先輩サニヤシンのGに、オショーの翻訳でもしようかしらともちかける。
 このマルーンカラーの「でも」に、私のイイ加減さが表れているではないか。
 するともそれに劣らずイイ加減な男で、じゃキミ、これをやりたまえ、と言って持ってきたのが、当時五冊セットの「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ
 だいたいだなあ、サニヤシンになりたての西も東もわからない新発意(しんぼち)に、ふつうこんなもん訳させるかぁ?
 ところがGは「やれ」と言うもんだから、「ああそう」と言って始めたわけ。
 それで十二年かかって、去年の春、全巻終了したんだけども…。「あ、おわった」というくらいで、それ以上の感慨もないのだ。

 あ、それから、修善寺のK氏からもメールをもらったんだ。
 いわく、「欲を言えば、毎日必ず写真を一枚添付して欲しい」。(こーゆーメールも大歓迎)
 うん、そーねー、考えとく。

xxxxxxxxxxxxxxx

 さて、孫悟空の大冒険!
 と行きたいところだけど、う〜ん、ちょっと疲れちゃったかな。
 メールに答えてるうちに、ついつい過去の日記をひもといてちゃったりして…。けっこうおもしろいんだな、これが。
 結局ぜんぶ読んでしまったのだ。(あ〜腹へった)
 ついでに文章のおかしなところもチョロッと直したりして…。
 そーゆーの、いいのだろうか? 過去の日付の打ってあるものを、後から直すなんて?
 でも、よくやるんだよね、これ…。漱石じゃないからね、オレ。(彼はほとんど書き直さなかったらしい)
 ともあれ、これが印刷物じゃできないHPの得意技だ! (あ、だからといって、読み直す必要はないんだよ。たいして変わってないんだから)

 というわけで、孫悟空…。う〜ん、最近、予告編をやると、うまくいかないんだなあ。予告をした時点では書く気あるんだけど、翌日になるとね、どーも出てこない。
 だから、ファーイースト社長マハスックだとか、なぞのSE仮面フィラクだとか、すっかり忘却の彼方。
 体臭からはマサラ(スパイス)の匂いも消え去ったし、プーナも遠くなりにけり…。


2月5日 マサラ・フェロモン

 うるはしのオショーコミューンを去って、早、二週間が経過しようとしている。
 昨日のラストじゃないが「プーナは遠くなりにけり」。
 忘れてしまわないうちに、必要事項を記録にとどめておかなくちゃ…

 …と思うんだけど、その前にちょっと気になることがある。「プーナは遠くなりにけり」の前に書いた、「体臭からはマサラの匂いも消え去ったし」というひとくさりだ。

 これは前々から気付いていた奇妙な現象なんだけど、インドに滞在して二週間ほど経つと、体臭がマサラに変わってくるのだ。マサラというのはインド語で「スパイス」という意味。
 スパイス天国インドにはそれこそ数限りないスパイスがある。それを総称してマサラというのだ。インドのキッチンや食品市場にたちこめているこの匂い。その同じ匂いを、カラダ、特に脇の下が発し始めるのだ。
 ひらたく言えば、腋臭(ワキガ)がマサラ臭になるということ。

 腋臭と聞いて顔をしかめることなかれ。
 腋臭というのは、イイ匂いなのである。香道をたしなむオレが言うんだから間違いない。
 子供の頃から好きだったなぁ…あの匂い。記憶を遡ると、小学校三年のとき、隣のクラスの担任に、別府先生という人がいた。何の変哲もない禿頭の中年オヤジなんだけど、なんとなく好きだった。というのも彼が腋臭を発散させていたからなのだ。
 いや、オレは別に変態ではない。逆に、極めてノーマルかつベーシックなのである。これにはレッキとした科学的生物学的根拠があるのだ。
 生理学的に言うと、腋臭、もっと正確に言うと、「腋下にあるアポクリン腺分泌物を細菌が分解して出る匂い」というのは、性フェロモンなんだという。つまり異性を引きつける「催淫効果」があるということだ。ウン、確かにある。
 だから腋臭とは、言うなれば女性のバストと同じような進化過程をたどって、人類に具わったものなのである。(バストもほとんどの場合、視覚的な性フェロモンとして機能している)。乳房が美麗であるごとく、腋臭も本来、芳香なのだ。
 それゆえに、バストアップを図りながらアポクリン腺除去手術を受けるってのは、人類数百万年の進化にもとる行為だと言わざるをえないっ!

 でもまあ、いくら腋臭がイイ匂いてったって、程度があるよな。あんまり強くっても困る。オレたち日本人はマイルドなほうだ。
 西洋人とか、インド人の腋臭は、けっこう強烈。
 だからプーナのブッダホールでは、毎夕ホワイトローブ開始前に、入口で匂いチェックがあるけど、あれは有り難い。もしフリーチェックで入られて、数千人でオショーbaなんか踊られた日にゃ、もはや瞑想どころの騒ぎじゃなかろう。

 さて、その芳(かんば)しき我が体臭がだな、二週間ほどすると、マサラ臭に変わってしまう。これは不思議な現象だ。みなさんも体験してみるといい。
 ただし、そのためには、オレくらいのほどよい腋臭と、日に最低二度カレーを食うことが必要だ。
 郷に入りては、カレーを食う。
 よくいるんだよ、せっかくプーナへ行きながら、チャイニーズばっかり食ってるヤカラが。
 中華なんか日本のほうがうまいに決まってんだから、プーナに行ったら、ちゃんとカレーを食いましょう。

 でもインド人って、ああゆうマサラ的な腋臭で感じちゃうのかしら。オレなんか別にそそられないけど、たぶん。
 「たぶん」というのも、不幸にして未だ、マサラ的フェロモンを発散している人と枕を交わしたことがないのだ。
 (じつはね、日本女性はインド男にやたらに誘われるんだけど、日本男がインド女性に誘われるってことは、オレの体験からすると、まず絶無なわけ。だからインド女性は永遠にエキゾチックなんである。ところで、怪人アナディの怪人たるゆえんは、そんなインド女性と籍を入れているのだっ!!)

 今日は時間もあることだし、昼間っからパソコンごっこ。
 今、午後の一時。まだ昼飯は食っていない。先ほど炊飯器のスイッチを入れたところだから、もう少しの辛抱だ。
 おかずは昨日、寿司屋でもらってきたイワシ団子。独身生活をしていると、かわいそうに思っていろいろくれるのだ。

 なんで時間があるのかとゆうと、オレの仕事、けっこう閑職なのだ。とゆーか、ほとんど自由業。
 有限会社M織物スタジオの会長をば務めているんだが、もっぱらメタフィジカルなレベルで働きかけているもんだから、一般のスタッフからはただ遊んでると思われているらしい。
 昨日なんかも事務所に顔を出したところが、ちょうど三時のティータイム。それでいそいそと交ぜてもらったんだが、パートのおばさまがた、経営者である私には一顧だにくれず、ひたすら世間話に熱中しているんである。
 その会話を再録すると;
 「そんで、Sちゃん、T高校にするんだって?」
 「そうなの、あの子。なんか制服がね…」
 「でもT高校って難しいじゃない? R女子高なんかどうなの」
 「好きな先輩が通ってるんだって。それに制服が…」
 「T高が第一志望なんて、なかなかよね」
 「うん、でね…。あっ、ぱるさん(オレのこと)お茶もうちょっと…。あっ、いいですか? それでね、制服が…」
 って具合。
 ま、会社がまわってる限り経営者はいらないっていうから、よしとするか。


2月6日 アレトゥーサの泉

 今日もまた青山の店で書いている。
 先日の火曜、私が店頭に出たところ、売上が急増、なんと普段の三倍も売れたので、ぜひまた来てくださいと店長に言われ…たわけじゃぜんぜんないんだけど、やっぱり来てみると、がぜん来客が増え、いろんなものが売れ出し、拙著まで売れ、サインしたりして、ウ〜ン、これはもしかしたら今年プーナでミスティックローズ瞑想をやった御利益じゃあるまいかと、しばしポジティブ・シンキングにふけるのであった。(実際あの瞑想は卓効があると思われるので、いずれまた本欄でリポートしたい)

 なんで今日またはるばる上京したかとゆうと、インド出発前夜のカタストロフを演じたわがPowerBook2400の修理のためなのだ。
 火曜日に渋谷のビックカメラへ持ってったところ、「二、三週間かかります」と言われ、えっそんなに? と思っていたら、近くにある「クイック・ガレージ」というところを紹介された。

 京王井の頭線・渋谷駅のひとつ手前「神泉駅」から徒歩五分のところにあるこの「ガレージ」、なかなか便利なのだ。Mac製品のパーツはほとんど取りそろえ、たいていの場合、その場で直してくれる。修理費・部品代も、保証期間内であれば無料だ。加えて年中無休。こうした「ガレージ」が現在全国に十数カ所あるという。
 それで今日、その渋谷店にでかける。すると技術者がお客と対面でマシンを分解、修理してくれる。僕の場合、PCカードスロットの交換だったんだけど、一時間ほどで作業終了。めでたく本復したのであった。それで今、ちょうど二ヶ月ぶりにこの2400のキーボードをたたいているというわけ。

 ところで「神泉駅」を降りると、真正面にでかいマンションが建っていて、その名も「アレトゥーサ神泉」。なんでこんな仰々しい名前をつけるんだろう…。って、「ガレージ」へ向かう道々首をひねっていたんだけど、その秘密がわかった。
 アレトゥーサってのは、ギリシア神話に出てくるニュンフ(女ないしは女神)の名前。ちょっと記憶が定かではないのだが、おおかたゼウスみたいな好色な男神に追われ、シチリア島のシラクサに逃げる。そして、そこで泉に姿を変えたのだ。だから、「神泉」。
 よく考えるよな〜。今でも「アレトゥーサの泉」はシラクサ市内、石畳の静かな広場のまんなかで、水草の間からこんこんと清水を湧出させている…。
 まあみなさんも、この期におよんで、シチリア島なんか行かないよな〜。でも万一行くようなことがあったら、オレのおすすめは、このシラクサ。それからお隣にあるゲーテも推奨のタオルミナ。アグリジェントにセジェスタ…。一歩街の外に踏み出せば、タビアーニ兄弟の監督作品に出てくるようなシチリアの風景が広がる ― オリーブとアーモンド、そして石灰岩質の荒涼とした山野…。
 おんなじ荒涼でも、こっちはコンクリートのビルと高速道路の荒涼。あっ、成分的には同じか。CaCO2、炭酸カルシウム。

 ん!? なんか急に客足がとだえてしまった。オレのミスティックローズの神通力もこれまでか…。


2月7日 ファーイーストの大王

 立春も過ぎると、日脚もだいぶのびてくる。近くの禅寺からは、夕べの鐘の音がゴ〜ン…。
 久しぶりに体験する最近の寒さ。ここ数年、立春はインドで迎えていたのだ。立春というのは、これ以上寒くはならないということで、裏返すと、今がいちばん寒いということなんだそうだ。

 さて一昨日、横浜のN嬢からメールをもらった。
 早くマハスックのことを書いてくださいとのお願いであった。
 たしかに私はこのところ、その作業を一日延ばしにしてきたようなフシがある。この調子でいくと、永久にこの偉大なる男のことを書かずに終わってしまうのではないか、という危惧も内々生まれつつあった…。
 いや別にこの男に何がしかの恨みがあるというわけではない。 否! この男の偉大さを上回る偉大なことが、日々周囲に惹起しているのである。ああ、日々日常の奇蹟よ!

 しかしながら、いっかなこの日和見・無節操・付和雷同の私にしても、かかるインド的無限遅延の陥穽にはまることは、どうやら存在が許してくれないらしい。
 というのもさっきまで…、正確に言うと、日曜午後の午睡をむさぼる直前までは、この乙女の切なる願いも無視し、きょうのぱるばか日誌の題材は「怪僧DのHP」なり、と心に決めていたからだ。
 しかしソファに横たわってしばし存在の子宮に回帰し、しかるのち、再び冬ざれの養沢渓谷に戻ってみると、あ、今日はマハスックだな、心変わりをこえていたという次第。これを存在の仕業といわずに何と言おう。

 さてマハスック。
 この名が何を意味するのか、私は知らない。
 サニヤス名の例にもれず、きっと何か大層な意味があるのだろう。
 だいたいサニヤス名というのは、本人の実態に反比例して豪華絢爛勇壮美麗になるという傾向があるから、このマハスックという名も、かなり大胆な代物であることはほぼ間違いない。
 「マハ」というのはギリシア語の「メガ」と同根で、「大」という意味。
 たとえばアレキサンダー大王は、原語のギリシア語では、アレクサンドロス・メガスだ。
 もしかしたら、マハスックも「大王」なのかもしれない。
 「大王」と名がつくと、たとえ骨なしのイカにしたって、ただものじゃ済まない。巨大なるダイオウイカはマッコウクジラと一騎打ちさえするのである…。ま、一騎打ちの後に食われてしまうのだが、いずれは竜涎香と化するやもしれぬ、その王者の気品と風格たるや…、一杯飲み屋の七輪の上で炙られるスルメたあちと違う。

 さて、ファーイーストの大王マハスック。
 その前に、ファーイーストについて説明しておく必要があるだろう。
 みなさんも渡プーの折には、このオフィスから多大な恩恵をこうむるかもしれないからね。

 このファーイースト、正式にはFar East Connection。二年ほど前に、オショーのミディアムであるアナンドの肝いりで発足したオフィスだ。極東三国(日本、韓国、台湾)の人々の面倒を見るのが主な仕事である。
 こうした一部地域の人々の面倒を見るオフィスというのは、ファーイースト以外にはない。なぜ極東三国がそのように特別扱いされるかというと、まずは言語の問題だな。

 コミューンの共通語は英語。ま、世界の趨勢と、オショーの使用言語を考えるに、これは仕方のないことであろう。
 しかるにだ、世界地図を見てもわかるとおり、英語の母国イギリスは、ユーラシアの西端に位置しているのである。ところがこちとら、ユーラシア東端に住まう人間だ。東端の人間が西端の言葉でコミュニケーションしようってんだから、どだい無理がある。
 特にその不自然さを痛感するのが、お隣の韓国人と英語でお話するとき。おたがい顔突き合わせながら、遙かユーラシア大陸を隔てて会話しているかのようなもどかしさがある。まさに隔靴掻痒。羽田からソウルに行くのにロンドン経由で飛ぶようなもんだ。これぞまさしく文化的被征服国民の悲哀…。

 そーいえば、コミューンの主体をなす西洋人およびインド人はどちらも印欧語族、いわゆるアーリア人。極東三国人だけがモンゴロイドなのだな。
 だからこの三国人がちょっと異質であっても、当然といえば当然。コミューンの活動に溶け込むことも、なかなか難しいところがある。
 それを案じたオショーがオショーカフェというレストランを作って日本人に活動の場を与えたという話が、ファーイーストのホームページにも出ている。
 このFar East Connection設置も、その延長上に位置すると言えるだろう。

 僕はどーゆーわけか昔からコミューン内でのこの極東三国に関心があって、日本人ミーティングを開くときなども韓台からオブザーバーを招いて話をしてもらったりしたものだ。
 それで二年前の冬にこのオフィスができると、さっそくそこにパソコンを持ち込んで遊び始めたというわけ。当時の社長は、元・会津桐の博物館館長スワミ・マジュヌ、二年目の社長は現竹取の翁スワミ・ナロパ、そして三年目の今年はちょっと若返って大王マハスックの登場となったのである。
 やはり三国の中では日本が一番サニヤスの歴史も長く活動も盛んなので、自然、日本人がイニシアチブをとる立場となる。

 この若き大王マハスックの登場に伴って、オフィスの職場環境もかなり拡充され、活動も活発になってきたのである。

 それでは明日こそ、乙女の切なる願いに応えるべく、この大王の来し方、行く末について、したためてみたいと思うわけである。
 でもなんせ、無定見の場当たり人生だからね、オレ…。特に最近は。
 ミスティックローズのせいかな、これも。(と、オショーに責任を転嫁して、今日はおしまい)


2月8日 大王の多忙な日々

 今、午前10時44分。
 朝っぱらから、我が社の仕事もないがしろにして、またしてもこの、悲しき玩具に向かっている。
 あっ、なんでオレはパソコンのことを「悲しき玩具」って形容したんだろう…。ぜんせん悲しくないのに…。
 この背景にはおそらく、最近feedbackをくれる岩手在住のB氏の存在がからんでいると思われる。氏は啄木の故郷・玉山村のすぐ近くに住んでいるのだ。氏はfeedbackばかりか、近々、茶菓子を送ってくれると言う。
 断っておくが、茶菓子を送ってくれるから、ここに啄木の作品名を登場させた、とゆうわけではない。決して私は物品で買収されたりしないのである。でもどんな茶菓子なのかなぁ〜♪ 楽しみだなぁ〜♪

 なんでこんなに早くから我が社の仕事もないがしろにして、この悲しき玩具に向かっているかとゆうと、今、隣室で社長が瞑想をしているからである。社長の瞑想中に仕事をするなんて失礼なことは、私にはとってもできない。
 社長というのは、もう12年も一緒にいるMa Prem Shaktiのこと。昨日インドから帰ってきたのだ。
 彼女、私の勧めもあって、プーナでミスティックローズ瞑想をやったのだ。それがなんとオショーサマーディの中で行われたとゆうんだから、私も少々嫉妬を覚えるのである。ところが公務多忙で、三週間目の「静坐」には出られなかった。それでリーダーのリーラから、「じゃ毎朝自分で坐ってね」と言われたのだ。それで朝の陽光の降り注ぐ畳の部屋で、ひとり静かに坐っているというわけ。
 実際このミスティックローズ瞑想というのは、偉大な瞑想法だと思う。オショーがサニヤシン全員にやんなさいと言っただけのことはある。やってない人は、ぜひとも体験してほしい。今回プーナで体験したミスティックローズのレポートは、また書くからね。ね。

 もったいぶってないで今書け! とゆう叱咤の声も聞こえてきそうだが、昨日の大王の話、まだ途中なんだよね。今日を逃したらネバーアゲインとなること必至なので、まずはそちらのほうにエネルギーを向けたいと思う。

 さて大王マハスック、昨日サニヤスメーリングリストに流れたマハスック自身からのメールによると、マハスックとはGreat Happinessと言う意味なのだそうだ。ところが横浜のN嬢によると、「自分の名前の意味はGreat Foolだ」と本人が言っていたそうだ。ま、どちらにせよ、それが彼の潜在性だということだろう。
 このマハスック、なんか親近感があるのだ。その存在がオレに似ているのだな。眉目秀麗、頭脳明晰という外面的特徴もさることながら、世話好き(ないしはおせっかい)、祭好き(騒々しい)という点でも、通ずるところがあるのである。
 実際、彼とはお祭り仲間で、昨年一月のオショーセレブレーションでも獅子舞の独演をやってもらったりしている。

 その彼がファーイーストの社長に就任したのが去年の秋。
 実は、前任のナロパが長いプーナ生活に終止符を打って帰国したのが昨年春。日本サニヤス界の長老ともいうべき彼なくして、はたしてファーイースト・オフィスの前途はいかに…と草葉の陰から心配していたのだが。
 その空白を埋めるべく現れたのがマハスック。お祭り男としての彼しか知らなかったので、どうなることかと思っていたが、これがなかなか一所懸命にやっているのだ。

 たとえば、昨年十月末以来、サニヤスメーリングリスト上に流れてくるプーナ情報がグンと増える。これはすべてマハスックの所行。三日に一度はコミューンから日本語でニュースが配信されてくるという具合だ。これでプーナがグーンと身近に感じられる。
 もともとパソコンに関心のある男だったから、オフィスのコンピュータ環境の整備にも心を砕いている。今回僕が一時的にせよコミューンのLAN経由でインターネット接続できたのも、彼のお陰なのだ。

 とにかくバイタリティーあふれる働き盛りの男なので、その仕事も多岐にわたる。
 先日もらったメールによると、現在、以下のごとくの仕事に携わっているらしい;

1.瞑想やセラピー・グループ、個人セッションなどの通訳探し。(日本人は英語が苦手)
2.日本人新規訪問者の世話。(初めての海外って人もけっこういる)
3.瞑想&セラピー・グループの説明書づくり。(プラザに掲示したり、HPにupしたり)
4.プーナボンベイ間の交通手段改善、エスコートサービスの準備。(プーナへの道は厳しい)
5.アナディの空室紹介プロジェクトの補助。(詳しくはこちらを参照)
6.貴重品預かり所のための日本人スタッフ探し。(日本人はわりかし信用がある)
7.オショーカフェの日本食づくりコーディネート。(寿司や、あんパンや、ビピンパや)
8.2000年大祭記念オショー日本語検索CDロムの編纂事業。(これはオレも初耳)
9.ファーイーストのホームページ
10.トラブル処理(コミューン内外での事件、事故など)
11.ファーイーストのコンピューター組み立て。(今はみんな個人持ちのラップトップ使用)
12.2000年大祭に向けてのホテルの調査。(来年はきっとすごいよ。みんなおいで)

 というわけで、いくら大王だからといって、とてもひとりじゃこなしきれぬ。
 これからプーナを訪ねる人がいたら、ぜひとも一度ファーイースト・オフィスを訪ね、手を貸してやってほしい。
 あるいは、慰問袋を持っていってやるのもいい。
   彼の好物:かきピー(柿の種とピーナツ)、ふりかけ、とんかつソース、美人秘書


2月9日 いろんな話

 うっ、うれぴ〜!!!

 いや、今朝九時ごろの話。例によってひとり静かにカナシキ玩具に向かっていると、ガタガタ、ゴトン、「宅急便で〜すっ」という騒々しい音声。なんだ朝っぱらからと玄関口に出ると、段ボール箱がひとつ。(宅急便屋ってのはよっぽど忙しいのか、人の承諾もなく戸を開けて玄関に入ってくるものだ)。送り主を見ると、なんと昨日本欄でご登場ねがった岩手在住のB氏ではないか。さっそく茶菓子を…。
 いそいそと段ボールを開けてみると、これがまた玉手箱のよう。岩手の名物がザクザク出てくるではないか。
 南部せんべいだろ、わんこそばだろ、小岩井農場のジャムだろ、クッキーだろ…。
 うれぴ〜!!!
 手紙が入っていて、「まあ茶でもいっぱい」と書いてある。
 それでさっそくお言葉に甘え、時差ボケでまだ寝ていたS嬢を起こし、カルダモン入りのチャイをたて(てもらって)、テラスの日溜まりに腰をおろし、南部せんべいをぽりぽりかじりながら、お茶をさせてもらったわけ。
 いや〜、至福のひとときであった。

 B氏の手紙には「どうぞ気遣い無用に」と書いてある。心配ご無用、気遣いはぜんぜんしないのだ。頂戴できるものは何でもありがたく頂戴する。
 そもそもがベーシックな人間だから、こーゆー結構な食べ物がいちばんうれぴ〜わけ。同じくベーシック人間であるSなんかも喜んじゃって、「あたしストール送るっ」とか言っておったが…。ホントかどうかわからんが、ま、ご随意に。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 テラスに腰をおろしてお茶を飲んでいると、霜柱でフワフワになった地面に、フキノトウが芽を出している。ここ東京の高冷地・養沢の谷にも、春の訪れは近いのであろう。
 S嬢はさっそく家の周りをめぐって、両手いっぱい収穫してくる。早春の珍味だ。

 しかし
 このフキノトウが私の天敵なんである。

 思い起こせば一昨年の秋、近くの民宿・大峰荘に遊んだときのことだった。
 この大峰荘というのは友人の母親が営む山の宿で、御嶽山に連なる養沢の尾根筋にある。そのおばさんの作る山菜料理がなかなかおいしいのだ。山上の檜風呂も気持ちいい。
 風呂で汗を流し、友人たちとともに夕べの食膳を囲んでいたところ、にわかに私の様子がおかしくなる。
 食事の途中でトイレに行ってみたり、しばらく外のベンチに座ってみたり…。しかし症状はひどくなるばかり。ほどなくして嘔吐下痢、七転八倒の苦しみを味わうのである。おかしいなあ、別に変なものは食ってないのに…。同行の友人たちも首をひねるばかりだ。
 ようやく症状の収まった翌朝、ためしにおばさんに聞いてみたのである。「あの天ぷら、なにが入ってたんですか」
 するとおばさんいわく、舞茸、なんとか草、かんとか草、フキノトウ…。
 えっ、フキノトウ!?  だってあれ、春のもんでしょ。
 ああ、春に採ったものをね、冷凍しといたの。

 どーりで気付かなかったはずだ。半年も経っていたので香がとんでいたのだ。
 実は私、フキノトウのアレルギーなの。
 フキノウトウというより、キク科花粉のアレルギー。
 フキというのもキク科の一員なのだ。だからカモミール茶なんかもいけない。あれもキク科の花だ。
 一定量以上の花粉を体内に摂取すると、体はありとあらゆる手段に訴え、それを体外に排出しようとする。その排出プロセスに要する数時間が、地獄の苦しみなわけ。フキノトウ一個分の花粉量で、私のキク科花粉許容量を簡単に越えてしまうのだ。
 ってわけで、私に恨みのある向きは、わりあい簡単に復讐が遂げられるのである。フリーズドライのフキノトウ粉を、お茶の中にパラリと混入させればそれでOK。(あっ、オレはこんなことをHP上で公表していいんだろうかっ!)

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 アメリカ在住のP嬢からのご質問。「どうしてナロパ竹取の翁なんですか」

 スワミ・アナンド・ナロパ。最も古い日本人サニヤシンのひとり。昨年春まで数年間プーナのコミューンに住んでいた。名古屋のミュージシャンR氏によると、プーナ一期の頃には「雲の上の人」みたいだったという。
 でも僕の知っているナロパは、ひたすら優しくて温厚。長年サニヤシンやってるとああなるのかという枯淡の境地。オレも十年後にはあんなふうになるのかしら。(まあムリだろな…いや、けっこうなるかも)
 その風貌からアッシジのフランチェスコと呼ばれる。(オレが勝手にそう呼んでただけか)

 このナロパがパートナーのB嬢とともに、去年春、帰国。広島の山間に居を構える。
 そして今、竹炭を焼いているのだ。

 今、世の注目を集める孟宗竹の竹炭。
 私もナロパからもらったやつを、風呂に入れたり、枕許に置いたりして使ってる。なかなか具合いい。冷蔵庫に入れてもいい。
 竹炭を焼きながらインターネットにも接続しているので、関心のある人は私までメールのこと。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 ところで、ここ数日、プーナのコミューンが騒然としている模様だ。私のもとにも複数の情報筋から怪文書が届いている。その状況については、またご縁があったら、お伝えすることにしよう。


2月10日 筒型玩具

 いずこにお住いかわからないT氏(もしかしたらT嬢かな?)の質問。

 「どうすれば奥多摩などの自然の中で優雅に暮らせるのでしょうか

 まず、自然の豊かなところに住まいを移す。
 そして優雅に暮らす。

 それに尽きるでしょう。

 ん!? それじゃ答えになってない? でもそーなんだからしょうがない。
 オレなんかの場合も、この辺に家を探し始めたのが九年ほど前のこと。「都会はやだね、でも東京の近くがいいね」ってことで、都心から半径50kmほどの山際に見当をつける。そして、神奈川県伊勢原市からスタートし、順次北上しながら物件をあたり、ここ東京都あきる野市(当時は西多摩郡五日市町)に辿り着いたというわけ。
 なぜ伊勢原だったのかというと、以前住んでいたのが三重県伊勢市楠部町、つまり伊勢神宮の氏子であったという関係上、「お世話になったアマテラスないしはトヨウケ大神が、きっと伊勢原に住居を用意していてくれるに違いない」と信じていたからだ。しかしそーゆうことは特になかった。
 かくして秋川のほとりに一軒家を見つけ、S嬢とともに暮らし始める。彼女に多少の収入はあったけど、オレは主にオショーの翻訳をしていたから無収入。ま、どうにかなるだろう、いよいよ困ったら土方にでも出よう…てな感じ。(驚いたことにATOK11には「土方」の文字がない…差別用語なのだろうか)
 一時は預金残高が5桁になったりしたが、Sの事業が伸びていったこともあって、土方に出ることもなく今に至っている。
 でも基本的な生活スタイルはそのまんまだ。ま、どうにかなるだろう、いよいよ困ったら土方にでも出よう。

xxxxxxxxxxxxxxxx

 同じくT氏の要望。

 「音楽関係の記事も楽しみにしています

 う〜ん、困った。
 またしても、汲めども尽きぬ永遠なる泉、ないしは底無し沼の出現だ。
 というのも、こうしてさっきからカナシキ玩具に向かっているんだけども、実は、キーボードをたたいている時間よりも、別の玩具を弄んでいる時間の方が長いのだ。
 この新しき玩具が、なにを隠そう、楽器なわけ。
 この両玩具、すなわちパソコンと楽器、じつはそーとー相性がいいんではないかというのが、最近の私の観察である。
 この両者を上手に組み合わすことによって、マインドとハートのバランスがとれるのである。

 最近自分でも、すっげーカッコいい〜って思っているのが、自分の旅の格好。
 肩にパソコンを担い、腕には楽器を抱え、ブラリ一人旅。
 長らく「声」だけが唯一の楽器だったから、楽器を持ち運ぶって行為が、超フレッシュ&スタイリッシュ&ガルガンチュワ&パンタグリュエルなわけ。

 このように書きながらも、私の右手は知らぬまにあらぬ方向に伸び、筒型の玩具を弄んでいるのである。(って書くと、オジサンたちにはエッチな連想が働くかもしれないが、ま、それはおいといて…)
 実は、私のパソコン机の右端には、座右の銘ならぬ笛が並んでいるのである。その楽器領域は日々拡大を続け、遠からずパソコンを卓上から駆逐することになるやもしれぬ…。つい先日もこの筒型玩具は一本増殖し、現在、計七本となっているのである。
 内訳を言うと、尺八一本、ケーナ一本、インドのバンスリ一本、マニプールの竹笛二本、ジャワ島のジャワスリ一本、竹リーナ一本。

 その笛の一本一本には、またまた深い縁起の物語があるのだが…。
 みなさんそんなウンチクは聞きたくないよね? ね? (いかにも聞かせたそうな口ぶり)

 それではアンケート;
 あなたは筒型玩具についてのウンチクをいちいち聞きたいですか?

・ 聞きたい・  、聞いたげる、  」べっつに〜

(上のボタンのひとつをpush!「セキュリティによって保護されていません」とかメッセージが出たりするが、かまわず送信)


2月11日 間違いの十三周喜

 今日は休日。建国記念の日。
 で、オレにとっても、たしか、記念すべき日だったような記憶がある。
 あくまでもおぼろげな記憶なんだけど…。十三年前の今日だったかな〜、明日だったかな〜、いや、今日ということにしておこう。
 十三年前の今日、オレは初めてオショーの本を買ったのだ。

 1986年2月11日、オレは東京新宿にある紀伊国屋書店に赴く。
 そしてまっすぐ四階の思想書コーナーへ行って、バグワン・シュリ・ラジニーシの本が並ぶ書棚の前に立ったのである。
 さて、どの本を買おうか…。

 もともと大学で西洋哲学をやっていたオレにとって、このコーナーはお馴染みだった。そしてバグワンなる者の著書の存在も、知ってはいた。しかしインド人でもあるし、たいしたことはあるまいと、手にとって読むまでにはいたらなかった。
 当時のオレにとって、真理はあくまでも西欧にあるのであって、アジア人の手に負えるシロモノではなかったのである。

 それが見事にひっくりかえったのが、アフリカにいるときのこと。あれは84年の夏ごろだったかな。オレはナイジェリア北部のサバンナ地方で仕事をしていた。
 当時、日本のM物産が現地州政府との契約で、水井戸掘りのプロジェクトを遂行していた。オレはその事務要員としてキャンプ暮らしをしていたのだ。
 乾ききった草原のまっただ中にあるキャンプで、仕事といえば、たまに英語で報告書を作るだけ。けっこうな閑職だった。
 それで本でも読もうかと思うのだが、キャンプの小さな書棚にはたいした読み物もない。
 仕方なく手にとったのが、岩波文庫の『般若心経』。
 普通だったら読まないんだけど、まあしょうがねえやと思って、つらつらページを繰ってみる。
 すると、これが驚いた。
 西洋思想がもしかしたら来世紀あたりに到達するかもしれない地点に、なんとこの小さなお経は二千五百年前に到達しているではないか!

 それで翌年、日本に帰ってきて、その東洋の叡知に導いてくれる人を探し始めたというわけ。
 ダライ・ラマとかカスタネダとかグルジェフとか中沢新一とか、いろんな人々の本を漁って読み、手探りで探求を始めるのである。そうした書物のコーナーには、きまってバグワンの著書も数冊あったが、なんとなくイカガワシそうに思えて、やっぱり手にはとらなかった。
 数ヶ月間のリサーチの後、これはやっぱりチベットの僧院に入って修道生活を送るのが一番かなと思って、五反田のチベット文化センターに赴き、とあるチベット僧からチベット語を学び始める。これが86年初頭。
 でもやっぱりバグワンなる人物が気になっていたのだな。
 それで十三年前の今日、紀伊国屋書店に行ったというわけ。

 書棚にはオショーの本がいろいろ並んでいた。
 さあどれを読もうか。
 で、目に入ったタイトルが『セックスから超意識へ』

 チベット語をある程度マスターしたら、インドなりチベットへ行って、チベット仏教の僧院に入るつもりだった。そして悟りを開くまでは、出てこない。そしてもちろん、セックスなんかもしない。
 だから、チベットに行く前に、このバグワンなる人物がセックスについてどう言っているのか、読むのも一興だろう…と思ったわけ。
 それでその本を購入したのである。

 思えばそれが間違いの始まりであった。
 あの日、紀伊国屋書店になんか行かなければ、
 今頃オレは悟りを開いて、
 なんとかリンポチェとかになって、
 まあ一杯お茶でもどうぞと言いながら、
 バター茶なんぞをあなたに差し出していたかもしれない。


2月12日 間違いの続き

 今、午後五時十八分。
 今日は七時から我が社の新年会があるので、もうじき出かけないといけない。
 で、時間の許すかぎり、昨日の話の続きを書いてみようと思う。

 昨日も書いた通り、十三年前の昨日、新宿紀伊国屋でオショー の『セックスから超意識へ』を買った。
 当時オレは吉祥寺に間借りして住んでいた。新宿から吉祥寺までは中央線で一本だから、おそらく車内であのソフトカバーの薄目の本を開いていたに違いない。
 アフリカで一年働いてかなりの金ができていたから、オレは働いていなかった。そしてひとりで住んでいた。だからきっと、その夜も、翌日も、ずっとその本を読んでいたに違いない。

 とにかくびっくりしたわけだ。禁欲をしない限り悟りには到達できないと思っていたのに、この先生ときたら、まさに文字通り「セックスから悟り」への道を説いているではないか。
 へ〜、禁欲しなくてもいいのか…!
 昨日も書いた通り、オレは近々チベットの僧院に入門し、悟りを開くまで禁欲するつもりだったのだ。もちろん、当時ガールフレンドもいたし閨房の営みについても決して人後に落ちるものではなかったのだが、ともかく、チベットに行ったらいっさいヤラナイという覚悟だった。
 でもな〜、そーゆーのって、アリなのかなあ。なんか胡散臭い…。だってそうだろ? 今はさんざんガールフレンドといたしながら、チベットへ行ったらいっさいやりません、なんてわけにいくかよ。
 オレはおそらく、そうゆう自己欺瞞に薄々気づいていたのだろう。それであの本を選んだのだ。

 その本を読んで、とにかくショックを受けたのだ。
 内容もさることながら、なによりその言いっぷりがカッコいい。その醸し出す雰囲気が気持ちいい。顔写真もなかなか…。
 オレはこのバグワンなる人物に、いっぺんで魅了されてしまうのである。
 師とするならこの人しかない!

 めったやたらな人物を師とするわけにはいかない。
 オレも今までいろんな人々の本を読んだし、また大学の哲学科には偉い先生方もいた。でも彼らの弟子になろうなんて、てんで思わなかった。彼らは学者であって、哲学者ではない…いわんや覚者ではぜんぜんない。そんな人々の弟子になって研鑽を積んだところで、大学で哲学が講じるのが関の山。聴講の学生たちはと見れば、単に単位を得るためにじっと退屈を堪え忍んでいるのである。

 あ、そろそろ宴会の時間だ。
 続きはまた後日。


2月13日 オショー のパソコンごっこ

 今、朝の九時半。今日は修善寺の瞑想会に行く日なんだけど、連れがまだ寝ているので、いつ出られるかわからない。
 ま、オレにとっては瞑想会に行こうが行くまいが、二十四時間これ瞑想であるはずべきものであるからにしてからにだな、瞑想的にパソコンに向かおうとしているのである。

 オショー もパソコンが好きだったようであるな。晩年にはパソコンをいじって遊んでいたそうだ。
 当時オレはワープロしか知らず、パソコンって何だろう? オショー はパソコンで何して遊んでるんだろう? って思ったもんだ。
 この二番目の疑問については今もって疑問のままである。オショー はいったいパソコンで何を?
 十年前の話だから、まさかインターネットじゃあるまいし。
 オショー がパソコンでいったい何をしていたのか!?
 みなさんのアイデアを募集!

 ではこれから朝ご飯を食べて、修善寺へ出発だ。
 ここ養沢を出発し、八王子インタから中央道にのって、大月で河口湖線に入り、富士吉田から富士五湖道路に入って富士の裾野の標高1000mくらいのところを走って、御殿場から東名に入って沼津インタで降り、そこから三島を通って伊豆中央道へって感じ、ウ〜ム、かなり複雑。これを瞑想的にドライブするってのが、オレの今日の修行だな。


2月14日 修善寺にて

 みなさん、おはようございます。
 伊豆・修善寺の瞑想キャンプに来ています。
 今、朝の8時55分。
 他の参加者はみんな、朝のダイナミック瞑想が終わって、ポケーッとしているところだろうなあ。
 (みなさんのブラウザではどう表示されるか知らんが、私はpoke〜と書いたのであって、決してboke〜ではないのだ)
 私はその間隙をぬって、心静かにメールごっこしているのである。

 思えば昨秋、ここ修善寺にて、尊敬するサニヤシンの大先輩Asangaの瞑想グループに参加したのであったが、そのキャンプでも毎朝ダイナミック瞑想があったのだ。
 ところが私は例によって、毎朝さぼって布団の中で時を過ごし、心にいくばくかの疚しさを感じていたのである。
 聞けばかのAsanga師も八年間毎朝ダイナミックを欠かさなかったとのことで、サニヤシンとしての私の良心の呵責はつのるばかり。
 そこで質疑応答のセッションのとき質問してみたのだ、「ダイナミック瞑想をしないとエンライトできないのでしょうか?」
 すると師のたまわく、「そんなことはない」
 以来私は今日の修善寺の空のごとく、心も晴々、朝寝をできるようになったのである。
 あっ、しかし、空をみると多少雲が出ているな。私の心にも若干の疚しさが残っているのであろうか?

 だいたいオレなんかさあ、自分でも異常だと思うんだけど、プーナ二期、1989年の頃なんか、ブッダホールから聞こえてくるダイナミックの音楽をBGMにしながら、クリシュナハウス屋上の翻訳部で『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』を訳してたんだぜ。つまり朝の七時前からコミューンに来て、ダイナミックもせずに翻訳してたってわけ。それからず〜っと、夕方のオショー講話の時間まで、ワープロの前に座りっきりだったんだから…。あっ、今もあんまり変わんねえか。

 …おっ、そろそろ、次の瞑想の時間だ。しからば続きはその後で。

xxxxxxxxxxxxxxxxx

 ブリージング(呼吸)のセッションが終わって、ブランチを食べて、今戻ってきたところ。
 キヨタカの部屋で、電気あんかに足をのっけてこれを書いている。
 修善寺は伊豆だからあったかいだろと思って来たんだけど、けっこう寒いんだな、これが。標高200mを越える高台の上にあるから無理からぬことかもしれないが…。
 しかしながら眺望は抜群。パソコン画面からふと目を挙げると、雪を頂く霊峰富士が雲の上に頭を出している。
 ただ、網戸がはまっているから、せっかくの冨士山もメッシュ紋様。真冬なんだから網戸くらいはずせっての。
 ま、ヒトんち来て、瞑想キャンプの合間にこんなことしてんだから、文句は言えねえが。

 次のセッションはオレの『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』瞑想みたいだから、このへんでやめとくべえ。


2月15日 早春のやさしき光

 現在、午後9時56分。ぱるばか日誌始まって以来の遅い開始時刻だ。
 なぜかと言うに、さきほど修善寺から三時間、車を運転して帰ってきたからだ。

 ところで、五日市に着いて、行きつけの寿司屋に寄って気づいたんだけど、昨日は聖バレンタインデーだったのだ。
 どうしてそれに気づいたのかというと、そこの中二になる娘が、けなげにも私にチョコレートをくれたからだ。
 私の周囲には女がうじゃうじゃいるんだけれども、私にチョコレートをくれたのは、じつにその可憐な少女ただひとりだったのである。

 昨日がバレンタインデー…。うむむ、私は修善寺の瞑想キャンプに出ていた。そしてあそこにもやはり女たちは何人も存在していたのだ…。
 だいたいサニヤシンの女たちってのは、瞑想者であるからして、バレンタインデーにチョコレートなぞというコマーシャリズムに毒された軽薄短小俗悪野卑な習慣なんて、ちょっとやめてくんない! オンナがすたるワっ、て感じで、軽蔑しきっているのではあるまいか。チョコレートのチョの字も出なかったぜ。
 ま、瞑想キャンプに来て、キャー、キャー、チョコレ〜ト、ホワイトデーもよろしくねッ! とかやられた日にゃ、せっかく上がりかけたクンダリーニのエナジーもいっぺんに萎えてしまうこと必定ではあるのだが、それでもだ、帰りがけに、じゃこれねッ、と言って小さなパッケージを私の手の平に載せ、早春のやさしき光の中、ひとり静かに去っていく女の後ろ姿 … …ってのも、なかなかオツなものであることを私は否定しないのだ。

 というわけで、いったい自分が何を書いているのかよくわからなくなったが、煎じつめるにだな、いかに瞑想に捧げているこの身であっても、この日に女性からチョコレートをもらうにしくはないってことなんだな、これが。
 な〜に、二、三日遅れたって、ご利益は変わらないんだからね、ね、女性読者のみなさん!


 2月16日 価格破壊瞑想キャンプ in 修善寺 XX

 とゆーわけで、この土日と、伊豆・修善寺のリーラスペースでおこなわれた瞑想キャンプに行ってきた。
 この瞑想キャンプ、正式名称は「オショー禅リトリート」ってんだけど、またの名を「価格破壊瞑想キャンプ」という。というのも、参加者がキッチンワークや掃除などをすることによって経費節減を図り、そのぶん参加費を安めに設定するというもの。

 結論からゆうと、この瞑想キャンプはおススメだ。
 修善寺の出し物は何でもおススメしてしまうというのがオレの悪いクセなんであるが、例によってこれもおススメしてしまおう。

 人に何かをおススメする際には、そのススメんとする相手がいったいどんな人間なのであるか、それを知るということがマーケティングの常道なのである。つまり、今これを読んでいるアナタのことね。
 ま、サニヤシンなんだろなあ。じゃなきゃ、こんな日誌、つきあってらんねえよな。
 えっ、サニヤシンって何だか知らない? そんな人もいるのか…。
 こりゃあちょっと、タイトルのところに印でもつけとくか。成人映画じゃないが、マークを。

  が一般成人向け。オショーとかサニヤシンとか知らなくてもOK。
 XX はオショーファン向け。ないしは瞑想に関心のある人向け。
 XXX はサニヤシン向け。サニヤシンってのはオショーの弟子のこと。
 XXXX は当ホームページ常連向け。かなりの楽屋落ちも含まれる。
 XXXXX以上については、あくまでも自己の責任において読む。

 とゆーことで、今日はXXかな。ではさっそくタイトルの横につけておこう。

 ところで余談なんだけど、(このページはほとんどが余談なんだが)、Xはまた「ks」つまり「kiss」を意味する。
 英米人の女の子がよくやるんだけど、手紙の末尾、署名の後にXが書いてある。「Susan XXX」って具合にね。あれは別にバツではない。キッス、つまり愛情の表現なのだ。その数も多ければ多いほどいい。
 Xだと、まあ挨拶だな。バレンタインデーの義理チョコみたいなもん。あまり多くは期待できない。XXだと軽い愛情かな。ま、悪かない。XXXになると、もしかしたらキミに関心があるかもしれない。XXXXはかなりスジがあると見ていい。XXXXX以上になると、もうデキてるってわけ。

 あっ、こんなことを書いていたら、イギリスの友人から電話が来た。今、拝島の駅に着いたって。予定より早いな…迎えに行かなきゃ。いや、男なんだけどね。
 とゆーわけで、キヨタカごめん! この続きはまた後日。


2月17日 続・価格破壊瞑想キャンプ XXX

 忘れないうちにこの瞑想キャンプの報告をしておくのが、当オショーごっこHP編者たる私の責務であろう。
 今日は横道にそれないといいが…。
 ところでタイトルの横のXXXは、この記事がサニヤシン向けという意味。詳しくは昨日の日誌を参照のこと。
 なんで昨日こちらの方向に脱線してしまったかというと、いったいこの瞑想キャンプは誰を対象にしていたのか?と考えていたら、ひるがえって、そもそもこの記事は誰を対象にしているのかしらんと自問するようになり、対象じゃない人が読んだらさぞかし退屈だろうと親切心を出して、それなら最初から対象範囲を明確にしておこうと思ったわけ。これこそ禅でいう老婆心なるものであって、そもそもオレが「春゜婆」って自称するのも…。

 おっとっと、また横道にそれちまう。気をつけなきゃ。
 かくいう次第で、本HP編者たる私ぱるばは、この「価格破壊瞑想キャンプ」またの名を「オショー禅リトリート」をみなさんにおススメする次第である。
 というのも、なかなかよかったからだ。

 何がよかったかというと、雰囲気がリラックスしているのだな。
 瞑想キャンプてえのは、文字通り一緒に寝泊まりして瞑想するわけだけども、あんまり朝から晩までがんがんプログラムを組まれたら、参加するほうとしても、たまんないんじゃなかろうか。

 というのも、このような週末にかけての瞑想キャンプに参加する人は、普段は会社勤めなどをして忙しくて働いている人々なのだ。(ヒマのありあまっている人々はプーナに行っちゃうだろう)。
 そういう人々が必要としているのは、まず第一に、休息とリラクゼーションであるはず。必ずしも、朝から晩までがんがん瞑想することじゃないんだな。
 そうした人々のニーズに応えるのが、オーガナイザーとしての役割だろう。

 思い出せば十三年前。オランダでサニヤスレター(入門許可)を待っていたときのこと。ある先輩サニヤシンに、「これからはサニヤシンなしでは生きられないよ」と言われたものだ。
 そうして今、まわりを見回すと、友人のほとんどがサニヤシンかオショーファン。ほんとだ、まさにサニヤシンなしじゃ生きられないんだ…。これがまたブッダの言う「サンガ(僧伽)」の意味だろう。
 つまりサニヤシンたちとともに過ごすだけで、何らかの御利益があるというわけ。

 今回の修善寺瞑想キャンプには、そんなサンガ的なホンワカした雰囲気があった。小さなブッダ・フィールドと言えるのかもしれない。
 とくに定まったプログラムはなく、その時その時の参加者の意向で、することを決めていく。
 それは瞑想かもしれないし、ボディワークかもしれないし、散歩かもしれない。あるいはただボケーッとすることかもしれない。

 またこのキャンプの特長は、キッチンワークなどの仕事が含まれていることだ。
 他の参加者ともども瞑想的に行うこうした作業は、世間一般の仕事とはまったく違う光彩を帯び、たぐいなき至福を伴うものである。
 それを体験するだけでも、こうしたキャンプに参加する価値はある。

 というわけで、この価格破壊瞑想キャンプの第二弾は、きたる3月26日(金)から28日(日)まで。
 様々な困難にもめげずにこうした試みを続けるキヨタカ&ヨガビジャの志に応えるためにも、みなさんの積極的な参加を期待!
 修善寺リーラスペースのメールアドレスは、leela@mail.wbs.ne.jp


2月18日 セロ弾きのゴーシュ 

 みなさん、こんにちは。
 今、青山にある我が社の直営店にいる。
 帳場に座って、あたかも仕事をしているような顔をして、ぱるばか日誌を書いているのである。
 店内では熟年のご婦人がひとり、薄手のブラウスを作りたいということで、シルクの布地を選んでいる。店長の大久保がそのお相手を務めている。
 BGMはシブクマール・シャルマのCD。この人はオショーコミューンでも演奏したことのあるサントゥール奏者だ。

 先月ニューデリー滞在中、ビジネス・パートナーの招待で、この人のコンサートに行ってきた。
 出演はシブクマール・シャルマのほか、タブラのザキール・フセインという豪華コンサートだった。
 サントゥールというのは、もともと西アジアの民族楽器。ちょうどヨーロッパのツィターみたいに箱の上に何本も弦を張ってあって、それを木製のバチでたたいて音を出す。音的にもやっぱりツィターにいちばん近いかもしれない。
 この民族楽器をインド古典音楽に導入したのが、このシブクマール・シャルマ。サントゥールの第一人者であるとともに、インド古典音楽界の巨匠でもある。

 インド古典音楽というのは、一面、とても柔軟なところがある。千古の歴史を持ちながら、新しいものでもどんどん採り入れていく。このサントゥールがいい例だし、西洋楽器であるヴァイオリンなんかも立派な独奏楽器となっている。
 この点が、日本の古典音楽などとの著しい相違点であろう。おそらく日本の古典音楽は、明治以来の急速な西洋化のもと、すっかり息絶えてしまったのであろう。
 インドの古典音楽は今やますます元気だ。このシブクマールやザキール・フセインを始め、竹笛のハリプラサード・チョーラシアやヴォーカルのジャスラージ(いずれもコミューンで演奏)などは、みな国民的英雄であるばかりか、世界各地に招かれコンサートを開いたりしている。

 今朝までウチに滞在していたイギリス人のマーチンは、一時は音楽家を目指し、ロンドンにある王立音楽院のヴァイオリン科を卒業した男だ。奥さんが元オペラ歌手で、今でもそのピアノ伴奏をしたりしている。
 そんな彼がきのう、ハリプラサードの竹笛CDを聴いていた。西洋古典一筋の男だったから、ちょっと無理じゃないかな〜と思っていたら、案に反して、おおいに気に入ったらしい。
 非常にリラックスして気持ちいいというのだ。

 オレは決して西洋古典が嫌いなわけじゃないんだが、最近はもっぱら東洋の瞑想的音楽だ。
 ハートを熱くかきたてるようなにぎにぎしい音楽はもうたくさん。深く静寂の中に沈潜していくような音がいい。
 そうした瞑想的スピリットがいちばん生きているのが、やっぱりインド古典だろうと思う。
 シブクマールにしてもハリプラサードにしても、瞑想には深い関心を寄せている。
 尺八なんぞもかつては虚無僧たちが瞑想に使ったものだが、最近のCDを聴いてみると、なんか技巧が鼻について、その神髄を欠いているんじゃないかという印象。
 これはオレたちが新しき古典音楽を創出しなきゃ、って感じ。

 ところで中央高速から首都高四号線を通って都心に向かうと、新宿の手前に、真新しい第二国立劇場が建っている。
 なんで今さら巨額の国費を使ってオペラ劇場なんぞを…。
 もうセロ弾きのゴーシュの時代じゃないんだから。


2月19日 gossip!! XXXXX

 このXXXXXについては、三日前の日誌を参照。つまり今日のは「自己の責任において読む」ってやつ。換言すると、よっぽヒマじゃない限り、読まないほうがいいってこと。
 ってわけで、あ〜、キラク! 昨日みたいに(一般成人向け)のカタ〜イ記事を書くと、翌日はどうしてもその反動として、ついバツ印が増加してしまう。

 今日もまた、青山の帳場(カウンター)に座っている。
 どんなふうに座っているか、写真をご覧にいれよう。と思ってデジカメを持ってきたのだが、画像をパソコンに転送する器具を持ってこなかった。
 いちおうオーナーであるにもかかわらず、オレは客と応対することができない。なんとなれば、試着しているストールなり服がその客に似合っているかどうか、ぜんぜんわからないのだ。わかりもしないくせに「よくお似合いですね〜」とか愛想笑いするなんて、とってもできない。だから黙って帳場に座って、ぱるばか日誌を書いているのが一番。

 ところが当社社長のShaktiにはそれが目障りらしく、「そんなところでコンピュータやんの、やめてくれない」とよく言われたものだ。
 それにもかかわらずなぜ今でもやっているのかというと、これはじつに、熱海の老舗旅館『蓬莱』の女将のおかげなのである。この人は婦人雑誌などにもよく登場する有名な趣味人で、いつも和服姿で東京駅からタクシーで乗り付け、いろいろ買ってくれるのだ。
 この人が前回やってきた時、私はShaktiに嫌がられながら帳場でパソコンごっこをしていた。それで話のついでに、「いや〜、こんなことしてると、かっこわるいって嫌がられるんですよ」と言ったわけ。すると女将さん、こう言ってくれたのである、「なかなか決まってるじゃございません。かっこわるいなんてこと、ぜんぜんありませんことよ」
 以来、大手を振って帳場でパソコンごっこできるようになったというわけ。

 それから当店によく来る有名人は、山口智子ちゃん。僕はこの人に出演交渉をしたことがある。
 というのも、拙著『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』が映画化されたあかつきには、この人にShakti役をやってほしいと思ったからだ。ちょっと顔が似てない? 体型は少々違うけど。
 で、ぱるば役はもちろん本人がやって、随所に濃厚なラブシーンを挿入する。
 それで彼女に一冊贈呈したってわけ。けっこう気に入ってたみたい。
 で、ついでに、主演女優をやってくれませんかって聞いたら、考えときますと言われた。あれは一年前だったかなあ。まだ返事がないから、今でも考えているんだろう。
 ま、映画化の話もないんだけど。


2月20日 信州上田物語 XXXX

 今日はXXXX、つまり常連読者向け。
 なんとなれば私のお国自慢に終始するからであり、およそオショーや瞑想とは何の関係もないからだ。
 ほんとは、信州上田だからして、XXXXの代わりに六文銭(真田家の旗印)くらい配したいところなんだが、ま、やめとこ。(じつはそこまでの技術力がない)

 というわけで、今、長野県の上田にいる。私の故郷だ。さきほど車でやってきた。
 養沢から青梅に出て、そこから圏央道にのり、関越道・上信越道を通って上田菅平インタで下り、そこから30分ほどのところにある。全行程三時間ほど。上信越道ができて大幅に短縮された。

 ここ上田市は東信濃の中心地で、長野、松本に次いで、長野県第三の都市。
 今でこそ北部の長野市にだいぶ遅れをとっているが、今を去る一千年前の律令時代には、信濃国の国府および国分寺の置かれた場所であった。ウチの前には古代の街道、東山道が通っている。
 戦国時代には真田昌幸・幸村父子が上田城を本拠に活動していた。

 しかし、やかましいな〜。今、午後の六時過ぎ、居間のこたつに入って執筆に励んでいるのだが…。親父がテレビをつけているんで、気になってなかなか身が入らない。NHKニュースでスキー競技の話題をやっている。あっ、チャンネルが変わった。今度は民放のニュースだ。
 だめだなこれは。お国自慢どころじゃないな。どーにかなんねェかな…。なに、ジャンボ鶴田が引退? 印パ首脳会談? あ〜うるせェ。なに、水戸で梅の花見? 長野トヨタで中古車フェア?

 もうやめた。温泉にでも行こう。


2月21日 続・信州上田物語 XXXX

 またしても常連向け。
 今日はなんと八時間近くもHP作成に費やしてしまった。
 いや、オショーごっこじゃなくて、私のやっているもうひとつのサイト真木テキスタイルスタジオHP

 じつは妹であるマ・プレム・バクティ(田中惠子)が、昨年末、実家の一角を改造して店を開いたのだ。Cafe & Gallery「月のテーブル」という。
 それで、写真入りで記事を書いて、Upしたというわけ。いや〜、なかなかの力作だ。センスいいよな〜、オレって。
 ま、オショーとはあんまり関係ないけど、みなさんぜひ見てね。オレの秘められた生い立ちなんかもわかるし。真木テキスタイルスタジオHPの中の「月のテーブル案内」をクリック!

 「美こそ私の宗教だ」とはオショーの言葉だが、わが妹ながら、この店もじゅうぶんオショーの基準をクリアしてると思う。なかなかのスペースだ。
 カウンターの近くに小さな「ぱるばコーナー」もあって、オショーの『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズや、『禅宣言』といった本が置いてある。
 バクティは親しいお客さんたちにこうしたオショーの本を読ませているらしく、その訳者だということで、今日はお客さんのひとりに「瞑想とは何ぞや」というディスコース(説法)まで垂れてしまった。ミスティックローズっていいよ〜とかね。

 みなさんも当地においでの際には、ぜひお立ち寄りいただきたい。近くには温泉もいっぱいあるしね。


2月22日 愛の本庄児玉インタ XXXX

 最近この「常連向き」バツ印が多い。要するにエネルギーがないんだな。楽な方へと流れてしまう。
 きょうも信州から数時間ドライブしてきたところだから、ぱるばかをやるほどの元気が残っていない。ばかになるのもエネルギーが必要なのだ。
 ひと思いに休んじまおうかとも思うんだが、一ヶ月近く続いているものを中断するてえのも、勇気がいるものだ。
 ただ最近、励ましのおてまぎもあんまり来ないしなあ…、明日あたり休んじまおうかなあ。

 でもオレもよっぽど好きなんだなあ、このカナシキ玩具が。この「カナシキ」ってのは、必ずしも「悲しき」という意味ではない。辞書を引けばわかるが、「かなし」という和語には、「いとしい」という意味も含まれているのだ。
 寡聞にして啄木の「悲しき玩具」ってのがどんなオモチャなのか知らないが、(誰か知ってる人がいたら教えて!)、このパソコンというオモチャは、言葉のあらゆる意味で、カナシキ玩具なのである。

 ところで今日、関越自動車道を走っていて気づいたんだけど、本庄児玉インタの周辺にはヤケにラブホテルが多い。およそ二十個ほども高速の両側に軒を連ねている。
 みなさん高速を下りて御休憩ましますのだろうが、なぜに本庄児玉インタなのか!?
 埼玉県本庄市の市民が特別にエッチなのか、それとも東京から関越高速にのってドライブするアベックのムードが急速に盛り上がるのが、本庄児玉インタあたりなのか。(どーしてこーゆー話になるとにわかに元気を盛り返すのか!? )
 一軒に二十の部屋があるとして、つごう四百室。全館満室だったら、じつに四百組八百人もの人々が本庄児玉インタ周辺で集中的にメークラブしているということになる。
 その愛のオーラのまっただ中を、毎分数百台の車が時速百キロ以上で突っ走っていくわけだから、特殊相対性理論から言って、あのあたりには途方もないエナジー・フィールドが形成されているに違いない。


2月23日 The Mystic Rose XX

 いかにぱるばか日誌といえども、「オショーごっこ」の一部であるからして、たまにはタメになることも書かないと。
 しからばここで、懸案のミスティックローズ瞑想についてお話しよう。
 いままでずーっと、お話したいと思っていたのだっ!

 この画期的な瞑想法とのつきあいも、もう11年。
 つきあいといっても、否定的なつきあいなのだ。
 我ながら、これほど長く否定的につきあってきたサニヤシンも珍しいんじゃないかと思う。

 思い起こせば、オショー在世中の88年3月。プーナのブッダホールでは一風変わった講話シリーズが展開されていた。その名も『The Mystic Rose』(神秘のバラ)。これは横文字で見ると、なにやら西洋の錬金術っぽくて怪しいんだが、さにあらずなのだ。
 オレもじつは今年読み返してみて、気づいたんだが、この「ミスティックローズ」ってのは、禅に由来してたんだな。
 禅の始祖・摩訶迦葉(マハカーサパ)にまつわる、拈華微笑(ねんげみしょう)の故事なのだ。

 今を去る二千五百年前のある日、ブッダがいつもの通り講話の席に現れた。ところがちょっと様子がおかしい。バラの花を一本手に持ち、ずっと座ったきり、何も言わないのだ。弟子たちはみないぶかった。すると会衆の後方で突如、笑い出す者がいた。マハカーサパだった。ブッダは彼を手招きし、そのバラの花を手渡す。そしてこう言った、「語るべきことはすべて語った。語れないことはマハカーサパに伝える」。かくしてマハカーサパは禅の始祖となるのである。
 これがオショーの語る拈華微笑の因縁だ。つまりミスティックローズというのは、ブッダがマハカーサパに手渡したバラの花のことってわけ。

 それにちなんで名付けられた講話シリーズ『The Mystic Rose』。その中でオショーはこのミスティックローズ瞑想を紹介している。
 オショーいわく、これはブッダのヴィパサナ以来の革命的な瞑想法だと。そして弟子たちみんなに実践を勧める。
 コミューン広報部はそれについてのプレスリリースを全世界に向けて発行。それを日本語に訳したのが、当時コミューン翻訳部にいた私だったってわけ。もちろん日々の講話にも出席し、瞑想法の誕生を間近に目撃していたわけだから、ミスティックローズとは浅からぬ因縁なのである。

 にもかかわらず、自分でやろうとは夢想だにしなかった。
 だいたいなに!? あの瞑想法。一週間、一日三時間、笑い続けるだって!? そして二週間目は、一日三時間、泣き続けるだって!?
 じょーだんじゃない、オレそんなのやんないよっ。
 てな感じで11年が過ぎたのであった。
 ところで、この瞑想法が「ミスティックローズ(神秘のバラ)」と名付けられたのも、マハカーサパの哄笑にひっかけたのであろう。

 そして11年目、これは別に神秘の数でもなんでもないんだけど…。ん、待てよ、私の秘数は11であったな。
 ひょっとしたらこれは、運命的な巡り合わせだったのかもしれないっ!

 昨年末プーナに行ったのだが、なんとなくミスティックローズが気になった。
 それでマルチバーシティプラザへ行って日程を確認してみると、十日後から三週間のグループが組まれている。(当初は二週間だったのだが、その後三週間目すなわち一日三時間の静坐が加えられた)。そしてそのリーダーが、友人の日本人ヴァンダノだったのだ。彼とは翻訳部で机を並べたこともある仲だ。
 もうこれはやるしかないなと、さすがの私も観念するのであった。
 「ぱるばがミスティックローズやるなんて、これはいよいよ世紀末だ!」と修善寺のK氏に言われたものだ。

 一日三時間笑ったり泣いたりなんてできるのかしら…ってのが、大方の人の疑問であろう。
 オレもそれがずっと疑問だった。それも一日や二日じゃない。一週間、二週間だ!
 だからこそ今まで参加をためらっていたのだ。

 オレも今までミニバージョンのミスティックローズはやったことがあった。
 瞑想会の一部としての短縮版で、たとえば一時間半のうちに、笑いと泣きと静坐を30分ずつ全部やってしまうというものだ。
 みなさんの中にもこうしたミニバージョンを体験した人もあるかもしれない。
 しかし、ミニバージョンとフルバージョンは、ぜ〜〜〜〜んぜん、違うのだ!

 オレはもしかしたら、ミニバージョンの体験はガンになるかもしれないと思っている。
 ミニバージョンを体験して、な〜んだこれがミスティックローズなのかと勘違いしたら、これは人生の大損失!
 だから、瞑想会などで短縮版ミスティックローズを指導する瞑想リーダーは、これはフルバージョンのミスティックローズとはぜんぜん違うんですよということを、よ〜く周知徹底することが必要だろう。

 とにかくこれはいい〜!
 オレにはそれしか言えない。
 みなさんにもぜひ自分で体験してほしいものだ。
 オショーがサニヤシン全員に「おやんなさい」と言うだけのことはある。

 プーナでやれたらベストだが、インドじゃちょっと遠すぎるという人は、東京でも体験する機会がある。
 たぶん今年の春、荻窪のオショーサクシン瞑想センターでフルバージョンのミスティックローズが催される。
 リーダーはスワミ・ヴィジェン。この人は日本人ミスティックローズリーダーの草分けで、プーナでもリードしているベテランだ。
 興味のある人はオショーサクシンまで問い合わせてみるといい。E-メール:osho@ppp.bekkoame.or.jp。電話 03-3393-1803
 詳細がわかったら拙HPでもまたご紹介したいと思う。


2月24日 通勤時間の有効な使用法 XXX

 今、荻窪のナタラジ・レストランにいる。
 入口のところに「お茶だけでもお気軽にお入りください」とあったので、お言葉に甘えて、チャイだけ頼んでぱるばか日誌をやっているわけ。
 でもやっぱりチャイだけじゃ悪いから、チーズケーキも頼んでケーキセットにしよう。
 ここのチーズケーキは自家製でうまいのだ。先日の月のテーブルのチーズケーキも、我が妹の作ながらうまいんだが…。う〜む、これは甲乙つけがたいな。(模範的回答)。でもここのチーズケーキはマンゴーソースが添えられていて、そのあたりがインドレストラン的な演出であろう。
 ここのチャイ(インド茶)はさすがにうまい。ミルクがたっぷり入って、濃厚な味わいだ。個人的な好みで言うと、もうちょっとカルダモンが効いててもいいかな。
 とにかくこのナタラジの存在はありがたい。私の通勤路である中央線沿いにあって、駅のすぐ近くで、年中無休で、料理はうまいし、値段はリーズナブルだし、広々してるし、トイレはきれいだし、なにより全員サニヤシンでしっかりビジネスしてる姿が、同じサニヤスビジネスマンであるオレから見て、好もしく感じられるのである。

 今日はちょっと東京に用事があって電車でやってきたんだけど、道々ずっとオショー講話の翻訳をやっていた。
 移動時間のもっとも有効な使い方であるな、オショーの翻訳なんて。モバイル派の醍醐味だっ!
 でも電車が空いてないと無理だな。座席に座って、おもむろにノートPCを出して、お仕事を始めるってわけ。でも車内でパソコンやってる人って、あんまり見かけない。特にこれが青梅線、五日市線 (なに、そんなローカル線、知らない!?)ともなると、ほとんど皆無。

 ところで本日誌の熱心な読者だったら、「えっ、オショーの翻訳?」って思うかもしれない。
 というのも、先日本欄で、「オショー翻訳や〜めた」宣言をしたからだ。
 いや、まったくやめたってわけじゃないの。たまにはやるの。本の翻訳はやめたってだけ。

 この翻訳は、じつはアサンガのグループ用なのだ。
 敬愛するインド人スワミのアサンガが、この四月からまた来日し、各地で瞑想グループをリードするんだけど、そのときオショーの講話ビデオを見せるのだ。
 従来はそのビデオ上映中に、翻訳者が講話を同時通訳するんだが、これがなかなかたいへんなわけ。オレも一年前に一度やったんだが、オショーの言葉についていけなくなったりする。それで完璧主義者のオレは、これじゃいかんと思い、事前にアンチョコを作成しとくことにした。そうすれば翻訳者は講話上映中にも、安んじてアンチョコを読んでいればいい。

 アサンガは毎回、オショー講話の質疑応答部分を上映する。昨秋にはそのために十の質疑応答を事前に翻訳した。(一月ほどかかった)
 ワールドツアーとプーナ二期のものがほとんどだったが、翻訳する上で、ひとつ問題は、かならずしもすべての講話が私の書棚にそろっているわけではないということ。
 ないものに関しては、オショー CD−ROMから拾うことになる。ところが私の持っているオショー CD−ROMは、プリント・プロテクトがかかっているので、エディター上にコピーすることができない。それで窮余の策として、画面に表示させて、スクリーンショットを撮り、イメージファイル的に保存したというわけ。するとひとつの質疑応答に十も二十もスクリーンショットが必要となり、ちょっと不便であった。(ただ、重たい本を持ち歩かなくていいので、モバイル翻訳には便利だったが)

 この不便を解消すべく、今回、新たな方法を編み出したのだ。
 現在、アサンガはプーナにいる。そして、これはという講話を見つけたら、コミューンのリサーチ・ライブラリから、必要部分をE-メールで送ってくるというわけ。
 リサーチ・ライブラリにあるオショー CD−ROMには、プリント・プロテクトがかかっていない。それで自由に引用し、ネット経由で送ることができるのだ。
 それを僕はテキスト・エディタに読み込み、必要な時、自由に開いて、翻訳するってわけ。これは便利!

 ってわけで、アサンガは新たに六つほどの質疑応答をプーナから送ってきたのである。
 う〜む、喜んでばかりはいられないなあ。
 一月半ほどの時間しかないわけだ。
 4月11日には、またここでアサンガのウェルカム・パーティだし…。
 それではこれをPHSで送ろう。大丈夫かなあ。(と言いつつ、ウレシそう)


2月25日 怪僧のHP XX

 いや〜、これについてはずっと前から書こうと思ってたんだよね。
 でも、ずっと思ってるものほど、なかなか着手できないもんで…。
 ところが今日、東京荻窪の会社社長D氏から、「早く書かんかい!」とメールで尻をひっぱたかれたのだ。

 さて、怪僧…
 ん!? ちょっとこれは誤変換だな。快僧と書こうと思ってたのに…。ま、いっか。
 この人、サニヤス名が Swami Veet Daijyo。通称「だいじょ〜」。本職は坊さんで、自分では「拙僧」と自称している。
 坊さんてのはふつう「愚僧」って称するんじゃないかと思うのだが、その点について本人に確かめてみたら、だいじょ〜いわく、「拙僧は小生のこと、愚僧はほかの坊主たちのこと」だって。

 このだいじょ〜には、先日プーナのミスティックローズでもだいぶお世話になった。
 というのも、第一週の笑いのステージの時、ときどきこの人のことを思い出しながら笑ったのだ。
 数千里を隔てた、遠隔思い出し笑い。
 なにがおかしいかって、この人の笑い顔だ。
 だいじょ〜の笑い顔は、彼の作成したHPの表紙にもなってるんだが、実物はあんなかわいらしいもんじゃない。
 ド迫力のおもしろさだ。

 とゆーわけで、その浄土真宗僧侶・平塚大乗が、さきごろホームページをアップした。その名も「Funny Monk Temple
 いや〜、オレね、勝手なことを言わせてもらうと、この「Funny」って文句の、一文字変えたいなあ。
 二つ目の「n」をね、「k」に変えるの。つまり、「Funky Monk Temple」。
 この方がゴロがいいし、そのままCDのタイトルにもなりそうで、イカしてるじゃん。
 ちなみに「funky」を辞書で引いてみると…。なになに、「型破りな」。うん。「すばらしい」。うんうん。「官能的な」。う〜む…。

 さて怪僧だいじょ〜のホームページ。こんなページできたらいいなあ、って思っていたようなサイトなのだ。
 多くは語らん。まずはご自身でご覧あれ。

 で、な〜るほど、って思ったみなさん。自分でもHPごっこ、やってみない?


2月26日 二月目のごあいさつ XXXXXXX

 これは「にがつめ」じゃなくて「ふたつきめ」と読む。
 あっ、そんなのわかってる?
 そりゃ、失敬。

 ということで、このぱるばか日誌も、めでたく二ヶ月目に入った。
 これも読者諸嬢諸氏の愛深き叱咤激励ご鞭撻の賜物と感謝感激熱烈抱擁接吻合体放射冷却色即是空。(←後半部文字化け)
 ま、今日は特に書くこともないから、このへんでやめとっか。

PS
 ホントにやめると思う?
 アマイんだな〜。

 でも、みなさんのご期待に反して、
 ホントにやめることにしよう。

 じゃね、お休み。

PPS
 でもこれを読んでいる人は、おおかたにおいて、会社で仕事するふりをしてインターネットごっこしているか、あるいは、土曜午後の無聊の慰みにここを訪問しているに相違ないわけだから、こんなふうに「じゃね、お休み」って言われたって、きっと困るだろうなあ。
 ね、困ってない?

 伝わってくるんだよ、アナタの困惑が、時空を超えて。
 でも、もう夜の11時だし、オレとしてはとっても、「こんなの見てないで、さっさと仕事しなさい、仕事を!」とハッパをかけたり、「ではアナタの長〜い昼下がりの伴侶として、誰も知らない2.26事件の秘話をお話しましょう」なんて気には、なかなかならないんだよ。
 実際、この日本近代史上における重大事件についてはオレしか知らないプライベートでミステリアスな話があって2月26日のぱるばか日誌はそれにしようとずーっと思ってたんだけど、どうやら、存在はそれを許さなかったようだ。

 ではすべからく、存在に身をゆだね、そのフトコロに回帰することにいたそう。


2月27日 プリマヴェーラ 

 なんちゃってね。ちょっと横文字使いたくなっただけ。
 「春」と言やあ済むんだけど…。
 英語の「スプリング」じゃなんだか椅子のバネみたいだし、フラ語の「プランタン」じゃどっかのデパートみたいだし。
 その点、イタ語の「プリマヴェーラ」ってったら、思い出すのはボッティチェリの絵でしょ。あのうら若き乙女たちのまぶしき肢体!

 春といったら、セックスの代名詞。
 たとえば、売春とか、回春とか、春情、春画、春歌、思春期…。
 なぜこんなことを書くかというと、養沢の谷では今日、動物たちが一斉に発情を始めたからだ。

 うちの庭にはシジュウカラがしじゅう来るのだが、今朝、さえずりを始めた。
 と思ったら、下の方の清流から、ヨシキリの「ギシギシ」という声。
 近くの野原では、キジが一声「ケン」と鳴き、
 山際ではコジュケイが、「チョットコイ、チョットコイ」とリフレイン。
 山の泉に水汲みに行くと、ヒガラが「チュピ、チュピ」と高くさえずり、
 夕方には川の方から、「コロコロコロ」とカエルの鳴き声。
 いずれもオスたちが、危険も顧みず縄張りを宣言し、メスたちに求愛する行為なのだ。
 なぜこの時期に発情するのかというと、言うまでもなく、夏から秋にかけての一番エサの多い時期に子育てをするためだ。

 ひるがえって我が身を顧みるに、春めいてきたからといって突如発情するってことは、特にない。
 いつも発情している。
 なぜ人間だけが年がら年中発情しているかというと、ま、それが進化の必然だったのだろう。

 ある動物学者によると、メスの発情期が延びたんだそうだ。
 発情したメスは、オスたちにチヤホヤされる。つまりオスたちからプレゼントがもらえる。プレゼントがたくさんもらえると、豊かになって、子育てに有利になる。つまり、発情期が長ければ長いほど豊かになり、子孫を残しやすくなる。
 で、その形質が遺伝していき、ついに現在見るような通年発情の人類が誕生したという次第。

 早い話が、オレたちみんな、最もエッチだったメスたちの子孫だってわけ。
 どのくらいエッチだったかというと、妊娠の可能性のないとき、たとえば生理中や妊娠中でさえOKだというくらいのエッチ度。これは他の動物ではまず考えられまい。
 これを称して、「メスの娼婦的進化」というのだそうだ。

 もちろんそれに呼応して、オスのエッチ度も増していく。なぜというに、メスだけエッチになっても、オスがしら〜っとしてたら、娼婦的進化は成立しないからだ。
 こうした進化の裏にはもちろん、直立歩行による早産化(つまり人間の子供は非常な未熟児として生まれてくるので、養育期が数年に渡り、もはや生殖が一年のサイクルではなくなる)などの生物学的要因、更には生産性の増大などの社会的要因もあるのだろう。

 ただ、「娼婦」ってゆうと、怒る人もいるだろう。「娼婦」はイケナイのだ。「妻」だったらいい。
 でもどこに違いがあるのか?
 娼婦も妻もおんなじだと喝破しているのは、本邦では有島武郎、インドではわがオショー。
 オショーいわく、「娼婦と妻の違うところは、ただひとつ、契約期間の長短だ」

 しかしながらわがオショーはまた、「売春ほど醜悪なものはない」とも言っている。
 これはすなわち人類の進化全体を否定する言葉ではないか!
 つまり過去のすべてをすっぱり断絶して、新しい人間として生まれ変われということかな。


2月28日 輪切のワタシ XXXX

 私は演歌というものがあまり好きではない。
 ましてや細川たかしなんて名前すら知らない。
 ところが、どーゆーわけか、この二、三日、作業中の私の脳裏に間断なくBGMとして流れている曲があるのである。

親のこころに背いてまでも
恋に生きたいワタシです

 別にオレは、親のこころに背いてまでも恋に生きるってほど、演歌チックな人生は送ってないのだが…
 とか、つらつら思いながら、春の日差しの中でせっせと働く。
 頭の中では相変わらず、例のBGMが…

ついておいでよ
誰もいないよ

 ふと気づくと、周りには大木の輪切がゴロゴロ。
 な〜るほど、この連中がオレの無意識に働きかけ、「輪切のワタァシ〜」とやらせてたわけだ。

 な〜んちゃって、こんな長いイントロを置くほどのこともないのだが、ここ二、三日、私は木こりごっこをやっているのである。
 毎朝、作業着に身を固め、地下足袋をはいて、チェーンソーを積んで、軽トラで出動。
 そんな自分のいでたちにそこはかとない優越感を感じながら、街の方へ下りていく。
 じつは車で十分ほどの造成地に、大木が伐採放置されていたのを発見したのだ。所有者の不動産屋に照会したところ、差し上げるから早く処分してくれとのこと。

 それでオレはチェーンソーを買い込み、この大木と奮闘しているところ。
 樹種は何だかわからない。広葉樹の雑木で、太いところは直径50cmちかく。長さは合わせて20mほどもあるだろうか。既に2mずつの丸太に裁断されている。
 スギやヒノキなどと違って樹質が緻密だから、とにかく硬くて重たい。
 40cm見当に輪切にするんだが、それでも30kgはあるんじゃなかろうか。

 どうやって輪切にするかというと、まず鉄テコで丸太を持ち上げ、下側に棒を差し込んで浮かせる。
 そうしてやおらチェーンソーを起動して切断する…。
 ただ、このチェーンソーってのが、パソコン以上に気まぐれなんだな。
 エンジンがかかんなくなったり、突然切れ味が悪くなったり。
 トラブルが起こると、シロウトなもんで、どうしたらいいかわからない。

 夕方、動かなくなったチェーンソーを抱え、途方に暮れて家に帰ってくると、近所のオジサンが声をかけてくる。
 ここいらへんは林産地だから、山仕事のベテランが多いのだ。
 オジサンはもう六十台半ばだろうが、やっぱりよく山で仕事をしていたらしい。腰回りなんかオレの倍ほどもあって、見るからに頑丈そう。
 「ああこりゃ点火プラグが汚れてるよ」と言ってプラグとその周辺を掃除してくれたり、「石でも切ったな、歯が丸まってる」と目立ての仕方を教えてくれたり。
 オレはただ尊敬のまなざしで見つめるばかり。

 このチェーンソーってのは、快調に回っていると、とてつもなく気持ちイイもんだ。
 まるでポルシェ・ターボでアウトバーンをぶっ飛ばしてるみたい。(やったことがないからわかんないけど)
 こうして輪切にしたやつを、今度は斧で割って薪にして、蓄えておく。
 すると一年後には、このリビングのストーブの中で赤く灼熱し、我々を暖めてくれるってわけ。
 しかしこりゃ、好きじゃないとできないねえ。


ぱるばか日誌1月号/ぱるば日記98/パソコン日記98/ホームページ